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マッターホルン・ミュージアム

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年 8月 7日(水)17時51分28秒
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  スイスのツエルマットに滞在中、マッターホルンの絵葉書を知人に出した。後日彼から、その昔「ウインパーはマッターホルンへ・・・」何かの教科書で読んで行ってみたいと思った。と返信に書いてよこした。その知人は、ゴルフ仲間で山には登らない。

マッターホルンは、山に関心があろうとなかろうと、誰でも知っているであろう。それはスイスとイタリアの国境線上に、4481メートルの頂を、大空高くそそり立てている。その姿の美しさ、岩壁の雄大さ、人の心に迫る力強さ等、他に比べるもののない山である。それだけではない。登山史上において、マッターホルンほど波乱に富む劇的な役割を演じた山はない。

難攻不落のマッターホルンは、1865年7月14日にウインパーによって初登頂された。アルプスの最高峰モンブランが登られてから、実に80年の歳月が経過していた。だが登山隊の7人のうち4人が下山直後にザイルが切れて転落してしまうという恐ろしい遭難事故が起こった。マッターホルンが征服されたということは大きな出来事であったが、それと同時に起こった遭難事故は、さらに大きな衝撃を与え、裁判沙汰にもなった。

ツエルマットの駅からメインストリートを山に向かってしばらく歩いて行くとマッターホルン・ミュージアムがある。そこには、初登頂時の登山家たちの肖像画や様々な資料が展示されている。特に目を引くのは、ショウケースの中に展示されている「切れたザイル」である。緋色の布団の上に置かれ照明が当てられており、独、仏、英、日の四か国語の説明文がある。

切れたザイルを見ていた時、「僕は明日ガイドとマッターホルンに登るんだ。」と一人の男が話しかけてきた。年齢や国籍は聞かなかったが、その白人男性の若さが羨ましかった。別れ際に「幸運を祈るよ。気を付けて登って来いよ。」と励ましたら、右手親指を前に差し出してにっこりと笑顔で返してきた。

 
 

アイガー北壁

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年 7月29日(月)22時16分16秒
返信・引用 編集済
  昔、読書好きな山岳部の先輩が卒業時に山の本を何冊か置いて行ってくれた。その中に高田光政著「登頂あと300」という本があった。それは1965年日本人によるアイガー北壁初登攀記録である。私はその本でアイガー北壁を知った。

私は、先日10日間ほどスイス・アルプスを旅してきた。アイガーは日本人になじみの深い山である。グリンデルワルドからユングフラウヨッホに向かう途中、クライネ・シャイデックという駅で登山電車を乗り換える。観光客の大部分は、先を急いで素通りしてしまうが、そこはアイガー、メンヒ、ユウグフラウの三山を眺めるのに絶好の展望台である。

また、駅のすぐ上にアイガー北壁を眺めるヴューポイントがあり、北壁登攀ルートの説明版が設置されている。一枚目の写真は私が撮影したアイガー北壁である(実写)。二枚目は説明板を撮影したものである。説明版の画像を拡大していただくと各々の登攀ルートが色分けされておりよく分かる。初登攀ルートの他に、日本人として以下二つのルートに興味を感じる。

*初登攀ルート(1. Heckmair-Route 1938 黄色線)
*JECC隊直登ルート(3. Japaner-Drettissima 1969 赤色線)
*ミッテルレギ稜初登攀ルート(9. Mittellege-Grat 1921 紫色線)

(補足)
Heckmairとは初登攀者の名でアンデルル・ヘックマイヤーのこと。ドイツ人。
JECCとはJapan Expert Climbers Clubの略で、隊員に今井通子や後にヒマラヤ登山で名を馳せた加藤保男等がいた。
アイガー・ミッテルレギ稜の初登攀者は槇有恒である。1921年、今から98年前の快挙で、その成功はアルプス登山史上に輝き、日本登山界に大きな影響を与えた。

関連書籍は、槇有恒著「私の山旅」岩波新書、「山行」中公文庫がある。
また新田次郎著「アイガー北壁」新潮文庫もある。それは高田光政をモデルにした実名小説である。この度、旅行前に読んでみたが、おもしろかった。


 

富士スピードウェイ

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年 4月22日(月)20時54分18秒
返信・引用
  3月下旬、「GR Garage 東京三鷹」がオープンした。GRとはTOYOTA直系のスポーツカーブランド。その店舗に山梨県道志村出身の若いメカニックがいて、御正体や大室山の話をして親しくなった。彼は4月に富士スピードウェイでレースがあるから見に来てくれという。

富士五湖の一つ山中湖周辺の山に登ると、自衛隊北富士演習場の大砲の音が聞こえてくる。また風向きによって富士スピードウェイからレーシングカーのエンジン音が聞こえてくる。以前、石割山に登った時にその音を聞いたことがある。富士スピードウェイと山中湖は意外と近いのである。八王子に住んでいる知人は、相模湖から道志村・山中湖を経由して富士スピードウェイに走りに行っている。

若い頃はモータースポーツに興味があった。日本経済に力があったころは、富士や鈴鹿でF1レースが開催され、セナやシューマッハが若い女性を虜にしたのは遥か昔の話である。昨日、富士スピードウェイに行った。久々にエンジン音を聞き、フルスロットルでチェッカーフラッグを仰ごうとする高速バトルに熱くなった。

 

岩殿山

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年 4月10日(水)13時36分38秒
返信・引用 編集済
  今は昔、高校山岳部の夏山合宿で新宿から急行アルプス号で松本に向かう途中、あの岩壁を仲間と登ろうと思っているんだと話していた、当時社会人だった鬼の大先輩のことを思い出す。

中央線や中央自動車道の下り線を走っていると、大月付近で右手に大きな岩壁が見えてくる。岩殿山の岩壁で鏡岩という。標高差約120mあり、北岳バットレスや穂高の屏風岩なみの迫力があると書いたら大袈裟であろうか。

岩殿山の頂上には大月駅から1時間も歩けば着いてしまう。鏡岩の真下は桜の木が植えられていて公園になっている。そこは南斜面で陽当たりがよくベンチや縁台が置かれており富士山の絶好の展望台である。昨日は北風が強かったが、山が風を遮ってくれ、富士山と満開の桜に至福の時を過ごした。

 

中央線車窓風景と八ヶ岳清泉寮

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年 1月13日(日)11時41分58秒
返信・引用 編集済
  私は鉄道ファンではないが、車窓から山を眺めるのが好きである。中央線からの奥秩父や南アルプスそして八ヶ岳連峰、大糸線からの常念山脈や後立山連峰、また松本から新島々に至る上高地線のローカルでのどかな田園風景等々に、楽しみとくつろぎを感じる。

一昨日、特急あずさに乗って八ヶ岳に行ってきた。山梨に入り笹子トンネルを抜けると、甲府盆地の向こうに白峰三山や荒川・赤石・聖が大きく見える。甲府を過ぎると左に鳳凰と甲斐駒、右に茅ヶ岳とその先に八ヶ岳。そして日野春~小淵沢間から見る早川尾根がいい。甲斐駒にはあまり雪が付かないが、アサヨには雪がべっとり付き、そして北岳はその存在感を示すかのように早川尾根の奥にひときわ高く頭を突き出している。

上高地を代表する建物は帝国ホテルである。軽井沢では三笠ホテル或は万平ホテルか。八ヶ岳のそれは何かと問われれば、清泉寮だと答えたい。穂高の頂上に立ち上高地を見下ろすとき、帝国ホテルの赤い屋根が目に入る。赤岳や権現の頂上に立ち八ヶ岳の広大は裾野を見下ろすとき、清泉寮の赤い屋根を探す。

清泉寮のソフトクリームは人気商品で、女性や子供だけでなく甘党の男性も好んで食べているようである。レストランや宿泊設備も素敵だ。清泉寮はキープ(KEEP)協会が運営している。それは『Kiyosato Educational Experiment Project』の頭文字をとったものである。『清里教育実験事業』と訳したらいいのだろうが、そのネイミングから抱く堅苦しいイメージはなく、敷居の高さを感じることはない。そして何よりロケーションが抜群で、背後に聳える八ヶ岳の主峰赤岳が頬を刺すような冷たい空気の中で凛として聳えていた。

Uさんへ:今しがた6チャンネル "SUNDAY JAPON WEEKLY NEWS" を見ましたよ。
     一部誹謗中傷があるようですが、めげずに頑張ってください。
     応援しています。
 

早川尾根

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年10月 5日(金)21時39分25秒
返信・引用 編集済
  甲斐駒ヶ岳や鳳凰山は登っても、早川尾根を歩く人はそれほど多くはない。中央線小淵沢付近の車窓から、或は中央道八ヶ岳パーキングエリアから見ると、甲斐駒から鳳凰にかけて長い尾根が連なっている。それが早川尾根である。

南アルプスは玄人好みの山だという。早川尾根は絶好の展望台である。特に南アルプス北部の山々、北岳、甲斐駒、仙丈、鳳凰等の眺めが素晴らしい。それらの山々に登ったことのある人にとって、そこからの眺望は、感激がひとしおであろう。

先日、早川尾根を歩いてきた。気ままな一人旅で、好きな所で休み、写真を撮ってきた。人が少ないのがよかった。無人の早川尾根小屋ではロウソクの火を灯し、久し振りに孤独な一夜をすごした。夜中にネズミが天井裏で運動会をやっていて、昭和の子供の頃を思い出した。紅(黄)葉に染まる北岳、甲斐駒、鳳凰の写真をお届けする。


 

岩木山・太宰治・桜桃忌

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 6月19日(火)20時41分48秒
返信・引用
  二週間ほど前、友人に誘われて津軽と下北半島を旅してきた。津軽と言えば岩木山と太宰治である。旅に出る前に「津軽」を読み返してみた。前に読んだのは高校時代である。乳母にお寺に連れていかれ、怖い絵を見させられて泣き出したと書かれていた。なぜだかその場面だけが記憶に残っていた。それ以外はまったく記憶にない。

したたるほど真蒼で、富士山よりももっと女らしく、十二単の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均整も正しく、静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある。
・・・・華奢で頗る美人である。このように山容が美しく見えるところからは、お米と美人が産出するという伝説があるとか。

上記は「津軽」にある太宰治の岩木山評である。私などがそれについてコメントするのはおこがましいが、うまい表現だと思う。銀杏の葉をさかさに・・・というのがいい。

今日の午後、近所の郵便局に行った。その隣にあるお寺の山門をひっきりなしに人が出入りしている。若い女性が多く、手に花束やサクランボの包みを持っている。墓前にはお酒やビール、サクランボ、そしてたくさんの花束が捧げられており、信じられないほどの人の数であった。

今日6月19日は桜桃忌。今年は太宰治の没後70年だそうである。亡くなって70年になる作家の本が未だに読まれ続け、版を重ねていることはそうあることではなかろう。墓前で文学論を交わしている女の子、太宰作品を母国語に翻訳しているというスペイン出身の大学教授、韓国やタイから来た若者たち。いろいろな人たちがお墓参りに来ている。太宰治ってすごいですね。

 

[アルプ」そして「ちいさな桃源郷」

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 6月11日(月)22時10分34秒
返信・引用 編集済
  私が学生だった頃、「アルプ」という山の文芸誌(月刊)があった。串田孫一主宰で昭和33年創刊、25年後の昭和58年に300号を数えて終刊。(十数年前に「やまびこ」で紹介したかも・・・)それは山の本だが、コースの紹介や案内はない。技術や用具に関する記述もない。そして今では考えられないことであるが、広告は一切載せないという編集者の確固たるprincipleがあった。

先週、新宿紀伊国屋書店に行ったら、「ちいさな桃源郷」という文庫本が平積みになっていた。サブタイトルに「山の雑誌アルプ傑作選」とある。手に取ってパラパラとめくってみた。『鎌仙人』という一編があった。鎌仙人とは、武州雲取小屋(現雲取山荘)の番人、富田治三郎のことである。次の文は筆者(秋山平三さん)が高校時代の経験を回顧したもので、鎌仙人の忠告に従わず登山を強行し、濡れ鼠になって小屋に戻って来た時の描写である。

「いうことをきかなかったナ」とただひとこと呟き、ストーブに薪をくべはじめた。・・・・・ わたしたちはそれから、こんこんと山の知識をたたきこまれた。そして最後に、彼はこんなことをつけくわえた。「このぐれえのこんで、山を嫌いになっちゃいけねエ」

昔は、登山者を本気で叱ってくれる怖い小屋番がいた。私は、この一編を「アルプ」116号昭和42年10月号で読んだ。当時私は高三、自分が諭されているような気がして、結びの含蓄に富むひとこと「このぐれえのこんで、山を嫌いになっちゃいけねエ」にシビレた。「アルプ」は山岳図書愛読者の間では伝説になりつつあり、「ちいさな桃源郷」の後書きに詳しい。また北海道斜里町と山梨県北杜市にはアルプ美術館がある。

「ちいさな桃源郷」には、椋鳩十、深田久弥、尾崎喜八、畦地梅太郎等々、往年のビッグネームの珠玉エッセイ33編が収録されている。興味を持たれた方には是非読んでみてくださいと推薦したい。しかし冒頭に書いたように昭和33~58年に書かれた作品群であり、登山事情や社会背景等が現在とは大きく異なっており、若い人には取り付きにくいかもしれない。
中公文庫 全273ページ 定価900円(税別)

52年前の雲取山頂の標識は、木の温もりを感じさせる素敵なものでした。その大きさに驚きました。現在のそれは、鉄鋼の表面に御影石を貼りつけた、これまた立派なものです(2017/1/31投稿雲取山頂写真参照)。ヘリで山頂まで吊り上げたそうな。時の流れを感じますね-.
 

安曇野と桜

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 3月30日(金)14時14分46秒
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  桜の季節になると心がウキウキする。学生のころ表銀座を縦走した。夜行列車で新宿を発ち、早朝に大糸線の車窓から眺めた光景が目にしみついている。常念山脈や後立山の白い峰々が朝日に照らされてピンクに染まり、その姿が田圃の水面に映り輝いていた。その美しさに思わず、向かいの席に座っていた友人に「きれいだな」とつぶやいた。

有明で下車してバスで登山口まで行く予定であったが、ストライキをやっていてバスが出なかった。春闘の時期で、鉄道会社やバス会社が賃上げを要求してストライキを打つのは、当時としては珍しいことではなかった。学生で貧しく、タクシーに乗る金銭的余裕はなかったはずである。どのようにして登山口まで行ったのか記憶が欠落している。

燕山荘に登る登山道に、山桜の木が一本ぽつんと立っていた。満開のその木の下で休んでいると、頭上から花びらがひらひらと舞い落ちてきた。山の中で誰に見られることもなく咲いている一本の山桜の美しさが、今でも心に残っている。

この季節、安曇野へ桜を見に行くことがある。常念道祖神の写真は、昨年常念岳に続く畦道で撮ったものである。二本の桜の木の下に写っている山は常念岳で、カメラマンに人気の撮影スポットである。近くには早春賦の碑があり、そこの桜もいい。また大町の山岳博物館の桜も見事である。

 

愛鷹山(越前岳)

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 3月 4日(日)23時45分1秒
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  昔ゴルフに熱中していたころ、千葉の所属クラブでFさんという紳士とたびたびプレーした。彼はフランスの某高級ブランド洋品を輸入する日本総代理店の役員をしていて、十里木カントリークラブのメンバーでもあった。

昨日、十里木高原から愛鷹山(越前岳)に登った。好天に恵まれ富士を背(往路)にして、そして正面(復路)にして歩いた。寄生火山の宝永山の火口が大きく凹んでいる。そして富士の裾野の左(西側)に南アルプスの塩見岳から光岳まではっきり見える。

快晴の頂上に立った。するとそれまでは見えなかった北岳が遠くに見えた。私は、年齢を重ねるにしたがって南アルプスに魅力を感じるようになってきた。荒川や赤石もいい。しかし私にとっての南アルプスは北岳(kitadake3193)である。

「北に遠ざかりて、雪白き山あり、問えば甲斐の白峰という・・・」
深田久弥は、その一節が詠まれたその場所を訪れ、『日本百名山』北岳の項で次のように書いている。「駿河のその場所から白銀に光る白い山が見えた。しかしそれは北岳ではなく、もっと手前の赤石や悪沢であった。」

下山路、十里木カントリークラブを正面下に見て下る。下山(登山)ルートにある櫓を組んだ展望台から見るとゴルフ場のレイアウトがよく分かる。何番ホールか知らぬが、池越えのショートホールでプレーしているゴルファーがいる。

Fさんから十里木カントリークラブに誘われたことがあったが、実現しなかった。私は、山とゴルフを通じていろいろな人と出会いお世話になってきた。Fさんは15年ほど前に千葉のゴルフクラブを退会された。それ以後お会いしていない。今ごろどうしておられることだろう。

春うららのひな祭りの日、富士山麓で「北に遠ざかりて、雪白き山あり・・・」平家物語のその一節をつぶやき、そして昔、競技ゴルフで覇を競ったFさんのことを想った。


 

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