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クライミングを考える

 投稿者:Tessin  投稿日:2020年10月13日(火)20時51分15秒
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  最近、クライミングに熱中している。学生時代に少しかじったのだが、当時の登り方はほとんど役に立たない。安全に対する考え方が進歩し、それに伴って登攀のための道具が進化したり、ロープワークも変化している。一から出直しのつもりで学び直しである。仕事の重責から解放され身軽になったことで、「危険な遊び」に集中できる環境が整ったといえる。いつまでも我流で登っていも伸びないと思い、正しいムーブメントを習得すべく都内のジムでボルダリングのレッスンを受講している。当面の目標は5.11かな。ジムを訪れる機会が増えて気づいたこと、それは結構な数のシニアが楽しくクライミングしていることだ。ロック・クライミングは若い人のするスポーツで年寄りには縁のないことという認識を捨てた方が良いかも。クライミングは、通常の登山より難しいものと捉えるのでは無く、登山とは異なるジャンルの活動と位置付けた方が正しいのかもしれない。確かにロープの裁きを間違えたり、確保を誤ったりすると致命的だが、一方で外岩ゲレンデやジムで登る限りは、道迷いもないし熱中症とも無縁だ。このように考えると、クライミングが短かなものに感じてくるし、山の世界も広がって無限の可能性が出てくる。シニアだからっと行ってクライミングから遠ざかるのでは無く、シニアだからこそクライミングにチャレンジしてみてはどうか。  
 

涸沢の夏に思いを馳せる

 投稿者:edwhymper  投稿日:2020年 8月27日(木)21時15分48秒
返信・引用 編集済
  都会ではまだまだ暑い日が続いていますが、アルプスでは去り行く短い夏に哀愁を感じる8月下旬です。

コロナ禍の今年の涸沢はどんなだったのだろう。数年前、私のテントの正面で若いスタッフ達が美しいメロディーを奏でてくれた。また夕刻には一人の若者が大岩の上に立ちトランペットを吹いていた。その音色が心に沁みた。

ウイズコロナ、アフターコロナで山はどうなっていくのだろう。来年はあの夏が涸沢に戻って来ることを願っている。

 

Zermatt-Matterhorn

 投稿者:edwhymper  投稿日:2020年 4月18日(土)18時39分43秒
返信・引用 編集済
  昨夜、テレビを観ていたら、マッターホルンの岩壁に日の丸や星条旗等が映し出され、一瞬くぎ付けになった。ツェルマットから新型コロナウイルスで苦しんでいる世界各国へ勇気と希望を与えるメッセージであった。

We greet our Japanese friends, partners, and guests and send them a sign of hope and strength to overcome this unusual and difficult time.

(日本の友達、パートナー、ゲストの皆さんにご挨拶を申し上げ、この異常で困難な時を乗り越えるべく希望と強さの証をお届けいたします。)

数日前、氷河特急Glacier Express(サンモリッツ~ツェルマット)の予約をやむなくキャンセル。二週間のスイス旅行計画は頓挫した。だがテレビの画面をみて心に熱くなるものを感じ、励まされ、元気をもらった。

画像1:マッターホルンに映る日の丸
画像2:stay home
画像3:スイス国旗
 

蛾ヶ岳

 投稿者:edwhymper  投稿日:2020年 3月 8日(日)13時29分10秒
返信・引用
  ヒルガタケというと多くの人は丹沢の蛭ヶ岳を思い浮かべる。蛾ヶ岳をヒルガタケと読む人は山通であろう。蛾ヶ岳は御坂山塊の末端で甲府盆地の南に位置する。

先月、私の一番の岳友であったIさんが亡くなった。彼は中年以降の数年間、山梨百名山を集中的に歩き、特に身延沿線(富士川流域)の山々の魅力を紹介してくれた。最後に彼を見舞った時、「次は何処の山に行くのか」と問われた。

蛾ヶ岳の標高は1279メートルにすぎないが、山頂からの展望は一級品である。富士山、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父、眼下には甲府盆地を流れる富士川の雄大な流れ、そして遥か遠く、単眼鏡を覗くと、南アルプスと八ヶ岳の間に鹿島槍と爺が望めた。

有限の命とはいえ、親しい人の死は寂しいものである。酒好きだったIさんが、酒に酔い、蛾ヶ岳の話を嬉しそうに語っていたのを昨日のように思い出す。



 

募集要項

 投稿者:蝋梅  投稿日:2020年 1月28日(火)15時03分31秒
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  初めまして
今まで、仲間と山を楽しんでおりましたが、腰、首。膝と其々故障・・・
私も,所用続きで山を休眠、久しぶりの登山では筋力低下気味
 

謹賀新年

 投稿者:edwhymper  投稿日:2020年 1月 2日(木)22時48分42秒
返信・引用 編集済
  むさしの山の会の皆さん、明けましてめでとうございます。

先日、84歳になる元会員の大先輩Aさんから、71日間にわたってピレネー山脈730キロを踏破してきたとの便りをいただいた。80歳の2015年に計画し、4年後の昨年秋に実行したというその気力と実行力に頭がさがります。

私は昨年、アイガーやマッターホルンを眺めて、あと10年若かったらなあと思ったが、Aさんを思うと、まだまだ老け込んではいられない。1年の計は元旦にありという。私には、細やかなものであるが、胸に抱いている計画がある。Aさんの便りを読んで決意を新たにした次第である。

皆さんにとって、充実した豊かな年となるよう祈念しています。どうぞ安全登山に十分留意され、ご活躍ください。

 

精進湖キャンプ

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年11月19日(火)10時42分21秒
返信・引用 編集済
  先週末、久し振りに精進湖にキャンプをしに行った。目的は、夕暮れと夜明けの富士山撮影である。連れは学生時代の友人A君である。

二週間ほど前に自宅の桜の木を切った。木は生き物であるから切りたくはなかったが、成長するに従って隣の家から苦情が来るようになり、意を決して切った。直径20センチ位の枝を50センチ程の長さに切って、数本精進湖に持って行った。

寒い時期のキャンプで嬉しいのは焚火である。まず新聞紙を丸めて置き、その上に小枝を乗せて火をつける。A君にマッチで火をつけるように頼んだ。既に酔いがまわっていたのか、A君は新聞紙の上に火をつけた。「お前、焚火は初めてか? 炎は上にあがるのだから、新聞紙の下の方に火をつけるのが常識だぜ。」と図らずもアドバイスをする。

A君は「ウンウン」と言って、嬉しそうに燃え上がる炎をながめ、両手をかざし、杯を重ねていた。静寂な夜空の下で、桜の薪が燃え上がりA君の顔をオレンジ色に染めていた。

 

マッターホルン・ミュージアム

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年 8月 7日(水)17時51分28秒
返信・引用
  スイスのツエルマットに滞在中、マッターホルンの絵葉書を知人に出した。後日彼から、その昔「ウインパーはマッターホルンへ・・・」何かの教科書で読んで行ってみたいと思った。と返信に書いてよこした。その知人は、ゴルフ仲間で山には登らない。

マッターホルンは、山に関心があろうとなかろうと、誰でも知っているであろう。それはスイスとイタリアの国境線上に、4481メートルの頂を、大空高くそそり立てている。その姿の美しさ、岩壁の雄大さ、人の心に迫る力強さ等、他に比べるもののない山である。それだけではない。登山史上において、マッターホルンほど波乱に富む劇的な役割を演じた山はない。

難攻不落のマッターホルンは、1865年7月14日にウインパーによって初登頂された。アルプスの最高峰モンブランが登られてから、実に80年の歳月が経過していた。だが登山隊の7人のうち4人が下山直後にザイルが切れて転落してしまうという恐ろしい遭難事故が起こった。マッターホルンが征服されたということは大きな出来事であったが、それと同時に起こった遭難事故は、さらに大きな衝撃を与え、裁判沙汰にもなった。

ツエルマットの駅からメインストリートを山に向かってしばらく歩いて行くとマッターホルン・ミュージアムがある。そこには、初登頂時の登山家たちの肖像画や様々な資料が展示されている。特に目を引くのは、ショウケースの中に展示されている「切れたザイル」である。緋色の布団の上に置かれ照明が当てられており、独、仏、英、日の四か国語の説明文がある。

切れたザイルを見ていた時、「僕は明日ガイドとマッターホルンに登るんだ。」と一人の男が話しかけてきた。年齢や国籍は聞かなかったが、その白人男性の若さが羨ましかった。別れ際に「幸運を祈るよ。気を付けて登って来いよ。」と励ましたら、右手親指を前に差し出してにっこりと笑顔で返してきた。

 

アイガー北壁

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年 7月29日(月)22時16分16秒
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  昔、読書好きな山岳部の先輩が卒業時に山の本を何冊か置いて行ってくれた。その中に高田光政著「登頂あと300」という本があった。それは1965年日本人によるアイガー北壁初登攀記録である。私はその本でアイガー北壁を知った。

私は、先日10日間ほどスイス・アルプスを旅してきた。アイガーは日本人になじみの深い山である。グリンデルワルドからユングフラウヨッホに向かう途中、クライネ・シャイデックという駅で登山電車を乗り換える。観光客の大部分は、先を急いで素通りしてしまうが、そこはアイガー、メンヒ、ユウグフラウの三山を眺めるのに絶好の展望台である。

また、駅のすぐ上にアイガー北壁を眺めるヴューポイントがあり、北壁登攀ルートの説明版が設置されている。一枚目の写真は私が撮影したアイガー北壁である(実写)。二枚目は説明板を撮影したものである。説明版の画像を拡大していただくと各々の登攀ルートが色分けされておりよく分かる。初登攀ルートの他に、日本人として以下二つのルートに興味を感じる。

*初登攀ルート(1. Heckmair-Route 1938 黄色線)
*JECC隊直登ルート(3. Japaner-Drettissima 1969 赤色線)
*ミッテルレギ稜初登攀ルート(9. Mittellege-Grat 1921 紫色線)

(補足)
Heckmairとは初登攀者の名でアンデルル・ヘックマイヤーのこと。ドイツ人。
JECCとはJapan Expert Climbers Clubの略で、隊員に今井通子や後にヒマラヤ登山で名を馳せた加藤保男等がいた。
アイガー・ミッテルレギ稜の初登攀者は槇有恒である。1921年、今から98年前の快挙で、その成功はアルプス登山史上に輝き、日本登山界に大きな影響を与えた。

関連書籍は、槇有恒著「私の山旅」岩波新書、「山行」中公文庫がある。
また新田次郎著「アイガー北壁」新潮文庫もある。それは高田光政をモデルにした実名小説である。この度、旅行前に読んでみたが、おもしろかった。


 

富士スピードウェイ

 投稿者:edwhymper  投稿日:2019年 4月22日(月)20時54分18秒
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  3月下旬、「GR Garage 東京三鷹」がオープンした。GRとはTOYOTA直系のスポーツカーブランド。その店舗に山梨県道志村出身の若いメカニックがいて、御正体や大室山の話をして親しくなった。彼は4月に富士スピードウェイでレースがあるから見に来てくれという。

富士五湖の一つ山中湖周辺の山に登ると、自衛隊北富士演習場の大砲の音が聞こえてくる。また風向きによって富士スピードウェイからレーシングカーのエンジン音が聞こえてくる。以前、石割山に登った時にその音を聞いたことがある。富士スピードウェイと山中湖は意外と近いのである。八王子に住んでいる知人は、相模湖から道志村・山中湖を経由して富士スピードウェイに走りに行っている。

若い頃はモータースポーツに興味があった。日本経済に力があったころは、富士や鈴鹿でF1レースが開催され、セナやシューマッハが若い女性を虜にしたのは遥か昔の話である。昨日、富士スピードウェイに行った。久々にエンジン音を聞き、フルスロットルでチェッカーフラッグを仰ごうとする高速バトルに熱くなった。

 

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