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岩木山・太宰治・桜桃忌

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 6月19日(火)20時41分48秒
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  二週間ほど前、友人に誘われて津軽と下北半島を旅してきた。津軽と言えば岩木山と太宰治である。旅に出る前に「津軽」を読み返してみた。前に読んだのは高校時代である。乳母にお寺に連れていかれ、怖い絵を見させられて泣き出したと書かれていた。なぜだかその場面だけが記憶に残っていた。それ以外はまったく記憶にない。

したたるほど真蒼で、富士山よりももっと女らしく、十二単の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均整も正しく、静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある。
・・・・華奢で頗る美人である。このように山容が美しく見えるところからは、お米と美人が産出するという伝説があるとか。

上記は「津軽」にある太宰治の岩木山評である。私などがそれについてコメントするのはおこがましいが、うまい表現だと思う。銀杏の葉をさかさに・・・というのがいい。

今日の午後、近所の郵便局に行った。その隣にあるお寺の山門をひっきりなしに人が出入りしている。若い女性が多く、手に花束やサクランボの包みを持っている。墓前にはお酒やビール、サクランボ、そしてたくさんの花束が捧げられており、信じられないほどの人の数であった。

今日6月19日は桜桃忌。今年は太宰治の没後70年だそうである。亡くなって70年になる作家の本が未だに読まれ続け、版を重ねていることはそうあることではなかろう。墓前で文学論を交わしている女の子、太宰作品を母国語に翻訳しているというスペイン出身の大学教授、韓国やタイから来た若者たち。いろいろな人たちがお墓参りに来ている。太宰治ってすごいですね。

 
 

[アルプ」そして「ちいさな桃源郷」

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 6月11日(月)22時10分34秒
返信・引用 編集済
  私が学生だった頃、「アルプ」という山の文芸誌(月刊)があった。串田孫一主宰で昭和33年創刊、25年後の昭和58年に300号を数えて終刊。(十数年前に「やまびこ」で紹介したかも・・・)それは山の本だが、コースの紹介や案内はない。技術や用具に関する記述もない。そして今では考えられないことであるが、広告は一切載せないという編集者の確固たるprincipleがあった。

先週、新宿紀伊国屋書店に行ったら、「ちいさな桃源郷」という文庫本が平積みになっていた。サブタイトルに「山の雑誌アルプ傑作選」とある。手に取ってパラパラとめくってみた。『鎌仙人』という一編があった。鎌仙人とは、武州雲取小屋(現雲取山荘)の番人、富田治三郎のことである。次の文は筆者(秋山平三さん)が高校時代の経験を回顧したもので、鎌仙人の忠告に従わず登山を強行し、濡れ鼠になって小屋に戻って来た時の描写である。

「いうことをきかなかったナ」とただひとこと呟き、ストーブに薪をくべはじめた。・・・・・ わたしたちはそれから、こんこんと山の知識をたたきこまれた。そして最後に、彼はこんなことをつけくわえた。「このぐれえのこんで、山を嫌いになっちゃいけねエ」

昔は、登山者を本気で叱ってくれる怖い小屋番がいた。私は、この一編を「アルプ」116号昭和42年10月号で読んだ。当時私は高三、自分が諭されているような気がして、結びの含蓄に富むひとこと「このぐれえのこんで、山を嫌いになっちゃいけねエ」にシビレた。「アルプ」は山岳図書愛読者の間では伝説になりつつあり、「ちいさな桃源郷」の後書きに詳しい。また北海道斜里町と山梨県北杜市にはアルプ美術館がある。

「ちいさな桃源郷」には、椋鳩十、深田久弥、尾崎喜八、畦地梅太郎等々、往年のビッグネームの珠玉エッセイ33編が収録されている。興味を持たれた方には是非読んでみてくださいと推薦したい。しかし冒頭に書いたように昭和33~58年に書かれた作品群であり、登山事情や社会背景等が現在とは大きく異なっており、若い人には取り付きにくいかもしれない。
中公文庫 全273ページ 定価900円(税別)

52年前の雲取山頂の標識は、木の温もりを感じさせる素敵なものでした。その大きさに驚きました。現在のそれは、鉄鋼の表面に御影石を貼りつけた、これまた立派なものです(2017/1/31投稿雲取山頂写真参照)。ヘリで山頂まで吊り上げたそうな。時の流れを感じますね-.
 

安曇野と桜

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 3月30日(金)14時14分46秒
返信・引用 編集済
  桜の季節になると心がウキウキする。学生のころ表銀座を縦走した。夜行列車で新宿を発ち、早朝に大糸線の車窓から眺めた光景が目にしみついている。常念山脈や後立山の白い峰々が朝日に照らされてピンクに染まり、その姿が田圃の水面に映り輝いていた。その美しさに思わず、向かいの席に座っていた友人に「きれいだな」とつぶやいた。

有明で下車してバスで登山口まで行く予定であったが、ストライキをやっていてバスが出なかった。春闘の時期で、鉄道会社やバス会社が賃上げを要求してストライキを打つのは、当時としては珍しいことではなかった。学生で貧しく、タクシーに乗る金銭的余裕はなかったはずである。どのようにして登山口まで行ったのか記憶が欠落している。

燕山荘に登る登山道に、山桜の木が一本ぽつんと立っていた。満開のその木の下で休んでいると、頭上から花びらがひらひらと舞い落ちてきた。山の中で誰に見られることもなく咲いている一本の山桜の美しさが、今でも心に残っている。

この季節、安曇野へ桜を見に行くことがある。常念道祖神の写真は、昨年常念岳に続く畦道で撮ったものである。二本の桜の木の下に写っている山は常念岳で、カメラマンに人気の撮影スポットである。近くには早春賦の碑があり、そこの桜もいい。また大町の山岳博物館の桜も見事である。

 

愛鷹山(越前岳)

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 3月 4日(日)23時45分1秒
返信・引用 編集済
  昔ゴルフに熱中していたころ、千葉の所属クラブでFさんという紳士とたびたびプレーした。彼はフランスの某高級ブランド洋品を輸入する日本総代理店の役員をしていて、十里木カントリークラブのメンバーでもあった。

昨日、十里木高原から愛鷹山(越前岳)に登った。好天に恵まれ富士を背(往路)にして、そして正面(復路)にして歩いた。寄生火山の宝永山の火口が大きく凹んでいる。そして富士の裾野の左(西側)に南アルプスの塩見岳から光岳まではっきり見える。

快晴の頂上に立った。するとそれまでは見えなかった北岳が遠くに見えた。私は、年齢を重ねるにしたがって南アルプスに魅力を感じるようになってきた。荒川や赤石もいい。しかし私にとっての南アルプスは北岳(kitadake3193)である。

「北に遠ざかりて、雪白き山あり、問えば甲斐の白峰という・・・」
深田久弥は、その一節が詠まれたその場所を訪れ、『日本百名山』北岳の項で次のように書いている。「駿河のその場所から白銀に光る白い山が見えた。しかしそれは北岳ではなく、もっと手前の赤石や悪沢であった。」

下山路、十里木カントリークラブを正面下に見て下る。下山(登山)ルートにある櫓を組んだ展望台から見るとゴルフ場のレイアウトがよく分かる。何番ホールか知らぬが、池越えのショートホールでプレーしているゴルファーがいる。

Fさんから十里木カントリークラブに誘われたことがあったが、実現しなかった。私は、山とゴルフを通じていろいろな人と出会いお世話になってきた。Fさんは15年ほど前に千葉のゴルフクラブを退会された。それ以後お会いしていない。今ごろどうしておられることだろう。

春うららのひな祭りの日、富士山麓で「北に遠ざかりて、雪白き山あり・・・」平家物語のその一節をつぶやき、そして昔、競技ゴルフで覇を競ったFさんのことを想った。


 

正月の陣馬山

 投稿者:edwhymper  投稿日:2018年 1月 4日(木)21時27分12秒
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  正月は駅伝を見ながら家の中でゴロゴロ。若かりし頃は正月となると山にこもったものであるが、近ごろは毎年のように運動不足で体重が増加傾向になる。今日明日と一泊で丹沢にでも行こうと計画していた。しかし明日5日の予報が芳しくなかった。日帰りで陣馬山に変更。

今朝8時30分に中央線の高尾駅で友人と待ち合わせ。8時34分の陣馬高原行のバスに乗車する。予想に反してバスは登山者で満員、終点まで40分ほど立ちっぱなしであった。バスで陣馬街道を進んでいくと途中に恩方という集落がある。昨年の秋に美瑛に行ったが、そこには前田真三の写真館(拓真館)がある。前田真三は恩方の出身である。

時間に拘束されないノンビリ登山である。登山口からよく整備された登山道をゆっくりと話しながら歩く。途中一回休憩して11時過ぎに山頂着。天気は快晴無風。碧空が目に沁みる。富士、丹沢、奥多摩、南アルプス(悪沢・赤石)はもちろん、都心のビル街、スカイツリー、遠く筑波山、江の島、房総半島まで見渡せた。

世間では仕事始めの今日、冬の“陽だまりハイク”を堪能した。至福の一日であった。
皆さんにとって、今年はたとえベストではなくても、よりベターな年であるよう祈念しています。


 

Birthday

 投稿者:edwhymper  投稿日:2017年11月12日(日)22時35分38秒
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  オーストラリアの知人から Birthday Card をもらった。エアーズロックはオーストラリアのほぼ中央にある。赤銅色に染まった巨大な岩と抜けるような青空が美しく撮影されていた。

数週間前、エアーズロックの登山が2年後の秋に禁止になると新聞で読んだ。エアーズロックは、エヴェレストがそうであたように英国人にちなんで付けられた名である。現地での名はウルル(Ululu)といい、先住民族アボリジニ―の聖地である。現地では以前から多くの観光客が登山を自粛する動きがあるという。

アボリジニ―の長老は、あと数年で自分の生命がつきることを知ると、部族生活を引退して山中にこもり、ひたすら青空を見つめ瞑想にふけるという。オーストラリアの砂漠の青空はすさまじく青い。日本でも高山に登ると眼に沁みる様な青空を見ることがあり、そこに浮かぶ白い雲を見ていると心が洗われる。

学生時代、山岳部で青春を謳歌した。そこに悔いはない。しかし先輩・友人が谷川や冬の白馬主稜そして穂高で逝った。今日、平成29年11月12日は私の〇〇回目の誕生日。東京は青空であった。山の会も今は辛い時である。山に逝った友人・知人を思い瞑想にふける。


 

北海道

 投稿者:edwhymper  投稿日:2017年 9月27日(水)20時28分32秒
返信・引用
  先週末、北海道を旅してきた。
コースは
帯広空港、阿寒湖、摩周湖、知床、網走、層雲峡、美瑛、富良野、新千歳空港。
層雲峡の紅葉が盛りだった。

摩周湖は布施明。知床は森繫と加藤登紀子。網走はもちろん高倉の健さん。美瑛の丘と言えばケンメリのスカイラインが懐かしいし、前田真三もいい。

蘇る過去が多くある。年をとった証拠か。
 

燕山荘と畦地梅太郎

 投稿者:edwhymper  投稿日:2017年 5月 2日(火)19時15分57秒
返信・引用
  ゴールデンウイークの真っただ中である。昨日今日(5/1,2)、朝夕の通勤電車はずい分と空いている。先週末(4/29、30)に北アルプス燕岳に登った。登山中に歯の具合が悪くなり、昨日の夕方に日頃お世話になっている歯科医を訪ねた。

診察室の入ると畦地梅太郎の作品(木版画)が偶然壁にかかっていた。先生は大の畦地ファンで数多くの作品を所有しておられる。それは「頂上の小屋」というタイトルで、燕山荘を表現した作品である。実は私も同じものを持っているのである。

燕山荘の玄関前には畦地作品の「山男」をイメージした石像が置かれている。しかしそれに気づく登山者は意外と少ないようである。その石像は、先の燕山荘オーナーが畦地邸の庭にあったものを頂いたものらしい。小屋に入って宿泊手続きを済ませると、領収書と一緒に「山男」が印刷されたタッグが全員に配布される。ささやかな物だけれど嬉しい。

山岳専門誌の調査によると、燕山荘は泊まりたい山小屋No1だそうである。三代目オーナーの赤沼健至さんやスタッフの対応を見ていると、それが納得できるし、それに誇りを持っているように思えてくる。現状に満足することなく、今後も多くの登山者を喜ばす山小屋であり続けてほしいと願う。

畦地梅太郎:愛媛県出身1999年没 『山の版画家』と呼ばれ多くの作品を残す。
約10年前、当会の会報「やまびこ」で一度紹介している。

 

雲取山 2017年1月

 投稿者:edwhymper  投稿日:2017年 1月31日(火)20時13分0秒
返信・引用 編集済
  以下は1月7日付け朝日新聞・朝刊(むさしの版)からの抜粋である。

2017年は標高2017メートルの雲取山へ

今年の西暦、2017年と同じ2017メートルの標高がある都内最高峰の雲取山。雲取山は日本百名山のひとつ。奥多摩町と埼玉県秩父市、山梨県丹波村の1都2県にまたがり、山頂は奥多摩町と秩父市の境になっている。

都は埼玉県と協議して両都県の標識を一本化し、新調した。鉄鋼の表面に御影石を張り、高さは標高にあやかって2.017メートル。


昨年の暮、篠井山(山梨県・富士川流域)に登った時、頂上で居合わせた女性が、来年は2017年で雲取山には記念の柱が立てられたと言っていた。

それを聞いた同行の友人が「来年雲取山に登ろう。」と言い、そして更に後日、新聞を見て「雲取山は正確には2017.1メートルだそうだから1月中に登りたい。」と電話をかけてきた。

添付写真は昨日の雲取山である。時間は10時30分。天気は雨。風が強かったが、冬山の寒さではなかった(予報では都心の最高気温20度)。鴨沢ルートの積雪は少なく、石尾根の登山道でも7:3位の比率で土の露出部分が多い。山慣れた人ならアイゼン無しでも可。

 

Re: 茂来山々頂

 投稿者:udachan  投稿日:2016年12月13日(火)07時19分11秒
返信・引用
  > No.308[元記事へ]

Mさん

有難うございます。
私の勘違いで昔、四方原山から茂来山への縦走(結果は四方原山には行ったがそこからの茂来山までの登山道が不明の為、引き返す)で四方原山山頂にその標識を設置しました。
私の勘違いでお手数を取れせ申し訳ありませんでした。

S.U

edwhymperさんへのお返事です。

> S.U.さん
> お元気でご活躍の様子、何よりです。ご要望の件、お応えいたします。
>
> 茂来山々頂①
> 山頂南面より撮影。人物の足元に古い標識が倒れています。標識には白地に黒ペンキで「茂来山々頂」「前橋〇〇会」(判読不能)と書かれています。その標識は朽ちた支柱に、後から釘で打ち付けられたようです。きっと、その時点では、支柱はまだ立っていたのでしょう。
>
> 下の写真では分かりにくいかもしれませんが、その支柱の上部には錆びたボルト・ナットが二つ残っているのが見て取れます。元はそこにもっと立派な標識が取り付けられていたものと思われます。それは、貴殿の言う、会の人が設置した標識の支柱でしょうか。
>
> 茂来山々頂②
> 参考までに山頂西面より撮影した写真も添付します。①に写っている標識が社の右にあります。①では写っていませんが、よく見ると支柱が二本重なっているようです。
>
> 手前の石碑には「浩宮様 茂来山登山記念 昭和57年8月20日」とあります。私などが、以下のように書くのは僭越ですが、茂来山のような山に登られるとは、その選択が、素晴らしい。殿下はいいセンスをしておられる。山道を下りながら、つくづくそう思いました。
>
>
>
 

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