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絶対感覚

 投稿者:たまみちゅわん  投稿日:2009年 4月23日(木)00時01分52秒
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  絶対音感というのは天性のものなのか、それとも後天的なものなのか。以前といっても二十年くらい前、子どもが絶対音感を身につけさせられるために、常時自分の背中にテープレコーダーを背負って遊んでいる様子をテレビが映していた。そんなことで絶対音感というものは身につくものなんだろうか。もっともドレミのドなら振動数いくつというように、それぞれ物理的に決まっているようであるから、常時そんな環境にいた日には自然と体が覚えるかもしれない。
それに比べて味覚というのはどうだろうか。はじめはマサオ君の考えはもっともだと思っていたが、たとえば匂いなども日本古来の香道などを考えてもかなり再現可能な部分もある。味覚にしても、言葉では表現できないが、料理のレシピではないが必ずしも再現不可能というわけではない。絶対味覚もあるということである。けれどもそれを前提とした上で、同じ水でものどが渇いているときと、プールで水泳をしている時に飲み込む水とでは、味という点では比べものにならない違いが出てくる。その違いを現出させるのは、味覚以外の感覚と言うことになる。言うなれば、物の味は科学的に論証可能であるが、物の味わいは科学的には論証不可能と言うことではないか。・・・論旨がどこかずれているような気もするが、投稿ボタンを押すことにする。
 
 

絶対音感と絶対味覚

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月22日(水)04時57分55秒
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  絶対音感と絶対味覚はどう違うのだろうか? 娘が絶対音感を持っているらしい(違うかも) 音をはずしたらスコアとの差異を記述(感得)できるから、はずす奴はそもそも絶対音感を持っていない。
 しかし味覚というのは「質」である。 それを目に見える形で記述できるか? タレントのグルメレポートは、妥当か否か。 絶対味覚なるものがそもそも存在するのか?

 コーイチ君は炭酸水がおいしいと言った。 僕は、いや水の方がおいしいのでは、と。
でも僕のいう水のおいしさには、条件がある。 極限的に喉の渇きを覚えているとき水は至上の味がする。

 両者とも感覚与件(宦官を通じて我々に与えられるもの)であるが、僕はそこに質的な違いがあるような気がするが、それをうまく述べることはできない。
 

音韻論なんてとてもとても

 投稿者:たまみちゅわん  投稿日:2009年 4月20日(月)00時04分31秒
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  と言うところで、ご勘弁ください。それに小生、現在命の糧とも頼む雑書の類がすべて段ボールの中に収まっていて、駄弁を弄することもできません。これまでに何回も引っ越しをしたけれども、今度ともう一回秋頃になる引っ越しが人生最後のものになるのかと。ま、先のことは解りませんが。
コーイチ君の報告では昨晩の花見もご盛会の由、何よりです。実は小生昨晩怪しげな電話を何人かの方におかけし、ご迷惑をおかけしたのではないかと。潔さん、平にご容赦を。

マサオ君、そういうわけで音韻論については後日を期すとして、最近マサオ君が仕掛けてくる諸問題!は、小生にとっては茂木健一郎言うところの「偶有性」の事柄に属するのではないかと思うようになりました。数学といい、フロイトといい、音韻論といい、それぞれ脈絡なく提示されている。マサオ君の中ではつながりはあるのだろうが。
教室と言うところが、そもそも偶有性の固まりみたいなところがあって、何が飛び出てくるのか解らないところがある。そういう意味では、塾の教室という現場にいて、子どもたちと日々対峙しているマサオ君などは常に脳を鍛えられている幸せな存在と言うことができるのではないか。
 

「ちげぇ」と「ちごう」の違い

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月18日(土)02時04分14秒
返信・引用
   中一の英語のプリントで、No, it isn’t. を「違ぇよ」ってやったら女の子たちがおもしろがっていた。「喧嘩売ってるよ、この人。」 でも男子の間では普通の表現で、喧嘩売っている訳ではないらしい。 まあ中一といってもつい先日までは小学生だったのだから、女の子たちがそんな感じ方をするのも無理ないか。

 問題はそういうことではなく、何故「違う」が「違ぇ」になるのだろうか、ということ。 もう40年以上も昔、茅野の人達が「ちごう」と言っていた記憶がある。(多分保科君だったと思うが)
 音韻論の知識は皆無だが、teachの過去形のtaughtが「トートゥ」と発音されることもあり、僕は「ちごう」の方が理に叶っている感じを受ける。 「違う」から「違ぇ」への変化は不自然な感じ。 多分「違ぇ」は、「違いない」→「違ぇねえ」から来ているのだろうと推測している。 「ない」が「ねえ」になるのは自然な感じを受けるのだが、実際に例があるから自然な感じをうけるのだろうか、それとも音韻学的な理由があるのだろうか?

 たまみちゅわんなんかは音韻論的知識をお持ちかもしれない。 できたら解説を。
 

フロイドとシェイクスピア

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月17日(金)03時16分15秒
返信・引用
  フロイドの芸術論を読み返して、改めてシェイクスピアのマクベスを読んでみました。
フロイドの観点とは違いますが、シェイクスピアって人は「憑かれた人」を描いたのだな、と改めて思いました。
マクベスにしろシャイロックにしろハムレットにしろ、みな何かに憑かれている。

フロイドが言っていたのは、シェイクスピアって人は一つの人格類型を二人の人物に配置する、ということでした。
なるほど、マクベスと夫人とは「優柔不断」と「決然たる意志」を交互に繰り返します。 夫人が殺人を教唆したかと
思えば、彼女は手の汚れが落ちないといって15分も手を洗い続ける。 フロイドはもちろん夫人の所業を「強迫神経症」
と解釈したいのでしょうが、不思議なことにその論文ではそうは言っていない。
 

re:世界標準

 投稿者:のうほうく丸機関長  投稿日:2009年 4月14日(火)17時35分6秒
返信・引用 編集済
  日本製品が世界標準になんかなるわけがない。江戸幕府が開闢すると、軍事政権の江戸幕府は、自ら武装解除(世界の歴史上で、自ら武装解除してしまった軍事政権は、江戸幕府だけだだえ)を始めちまったもんで、鉄砲生産業者はミゾウユウの大不況に陥ってしまった。あまりにも暇だもんで、暇をもてあまして「タッカミチュワン、アソボ。」と言った奴がいた。タカミチュワンは言った「何して遊ぶぅ?」「火薬が唸るほどあるから、火薬でアソボ」ってんで、鉄砲職人が遊びで花火を作り始めた。それを見た風流人が「俺が金をやるから、誰も見たことのないスゲェ花火を作ってみろ。」と言った。別の風流人が、競争意識を燃やして、別の花火職人に言った「あいつらよりスゲェやつを作ってみろ」と、遊びの延長で花火作りに没頭するグループができて、競い始めた。あれから300年以上も経つのに、相変わらずやってる。不思議な国だわい。でもって、ふと気が付いて見たら、日本の花火技術は世界オンリーワンになっていた。ボカァ、未だに花火職人がどうやって金を手に入れて生活してるのか?不思議でたまらない。全く金になりそうもないことに、遊び心で夢中になる日本人も日本人だし、そんな連中に金を出す日本人も日本人だ。携帯電話も遊び心で、他のメーカーにない機能を盛り込んで、「どうだ!!うちの携帯はすげぇら!」「何をコクダ!おれんちの方がすげぇぞ!」とやっている内に、バカな経済学者が言うところの「ガラパゴス化」が起こった。オモシレェじゃん!、ガラパゴス化は今に始まったことじゃねぇわい。花火を見てみろ、花火の発明国の中国には、未だに、爆竹とロケット花火しかねぇぞ。ものを発明したり、開発するには、昔から「遊び心が最も大切だ」と言って、先輩から育てられたもんだ。ボクが中小企業庁長官賞を受賞した機械も、実は遊び心に満ち溢れている。フランスの新幹線なんかよりは、日本の新幹線には遊び心が満ち溢れているから、おそらく日本の新幹線のエネルギー消費量はメチャクチャ少ないはずだ。あと、ロボット、ロボットも凄い。江戸時代からの伝統だよね、ロボット技術は。お茶運びロボットとか宙返りロボットなんかが、江戸時代に既に発明されてるだ。ところが最近、困ったことに、日本のロボット技術を戦争の道具に使いたいと言って、諸外国からの引き合いが絶えないらしい。ホンダのASIMOなんか、何億円も掛けて開発したけど、あんなもの作ってどうするだい?一銭にもならないえ??!!…遊び心の塊のASIMOもきっといつか、花火のように大化けして、いずれは大金を稼ぎ出すんだろうな?…ASIMOがバズーカ砲を担いで、戦場を駆け回らなければイイんだけど…全く可笑しな国だ、日本ってぇのは。  

彼の話

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月13日(月)00時41分49秒
返信・引用
  「実は僕も、すぐ近くで暮らしていたことがあるんです。別におもしろい話ってんじゃないですけどね、おざわさんだから話すだけです。なにより土地が懐かしい」青年は言った。
「おざわさんのいた辺りからホンの5~6分だと思うんですけどね。 僕のアパートから大通りに出る小路があるんです。右手は大きな教会左手には高校のグラウンドがありました」
「知ってるよ。○○教会だろ」
「そうです。 そんなところだから人通りも少ないんです。 或る日彼女とその小路を歩いてアパートへ向かっていたら彼女が、あたしここでするって言って、するするとパ○ティをおろしてしゃがんで放尿し始めたんです。で、僕は感動したっていうそれだけの話です。」
「そっか。確かにおもしろい話でもないなあ。 でもいいっていうか得がたい経験かもしれないね。 俺は幼児期にしかそんな経験はないし、多分そういう趣味はないと思うんだけど(少なくともウ○コはご免こうむりたい) 状況がそうなったのなら見てみたくもないな」
「でしょ。 僕も世に言う○○趣味って訳じゃないんですけど。 彼女が無防備さをさらけ出してくれたから僕は感動しちゃったんですかねえ」
「でもセッ○スするときだって無防備だろ」
「でも、おざわさん。放尿って彼女一人だけが無防備じゃないですか。僕は一瞬あたりを見回して、狩猟時代の男のように彼女を守ってあげなくちゃって思ったんです」
「そっか、若い頃(も今も)持てなかった俺には羨ましい話ではあるがね。 俺は田舎育ちでね、小さい頃隣家の婆さんが立ちションしてるのを見たことがあるよ」

この話にオチはない。
 

うん

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月12日(日)01時20分47秒
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   それはそうだと思うけどね。 全てはキリスト教。
キリスト教社会に生まれるということは、救済に関して選択できることではない、救済されることを強いられるのだ、ミシェル・フーコーはそう言った。《無論社会を批判する文脈》
 西欧列強が近代歴史を作ったのは間違いないと思う。 それよりキリスト教が、と言った方がいいかな。 科学的真理だってキリスト教の「唯一絶対神」が化けた概念だからね。

 でもまあ、たまみちゅわんが何故そのような肉体を持つ存在でなければならなかったのかとか、たまみちゅわんの肉体を内部から生きる意識主体が、何故他ならぬたまみちゅわんと呼ばれている社会的自己の宿ったかなんてことは、キリスト教では説明できない。

 以前僕がたまみちゅわんのナショナリズムに反対したのは、ナショナリズムっていうのは所詮キリスト教的概念だからです。

 僕の家で紛争がある。 それは義父に理想があるからです。 自分を家父長として思い描いたヒエラルキー。 しかし問題は理想があることそれ自体です。 こうでなければならない、その思いが彼に暴力を招く。

 まあ、もっと語りたいけどこれまでとします。 理想を持つ人間は、他者が傷つくことには全く気づかない。 アメリカが日本にしたことに日本が傷ついていることに、アメリカは自覚がない(なぜなら、インディアンに対してなしたことに目をつぶっているから) 義父は僕を殴り、僕が口の中を切った痛みなど全く斟酌しない。 僕が彼にとって(彼の理想的世界に於いて)どこの馬の骨か分らない異物だということ、それだけが問題なのだから。

 キリスト教とかの唯一絶対神を抱く宗教ってのは、布教への情熱を持つのです。 絶対に自分の方が正しいのですから、こんないいものを説得せずにはいられない・・・

 疲れました、この辺で。
 

Re.新幹線

 投稿者:たまみちゅわん  投稿日:2009年 4月11日(土)22時32分43秒
返信・引用
  アメリカも大統領が代わって、こと温暖化対策という点では風向きががらりと変わった印象を受けるが、本音のところはどうだろうか。機関長がその前の投稿で書いているように、ケータイ一つを取ってみても、今は何を世界標準にするかというところに勝負がかかっているように思う。そういう点では、日本は非常に純粋というかナイーブなんではないか。省エネという点では日本の工業製品は世界一だろうし、そのような製品を作り出すエネルギー効率でもおそらく世界のトップ水準にあるのではないか。ただ、それが即世界標準になるかと言えば、おそらくそうはならない。政治と金といえば簡単であるが、要は欧米列強(かなり懐かしい響きであるが)の意向に沿うというか、彼らの利益になる方向でしか歴史は動かないのではないか。明治以来日本はそれに異を唱えてきた数少ない国の一つであったが、(こういう物言いには異論があると思うけど)先の大戦をとどのつまりとして釘を刺されてしまった。日本よ、我々の言うことを聞きなさい。要は彼らの価値の、彼らの歴史の押しつけなのだ。それをとことん辿っていくとキリスト教にたどり着くのではないかしらん。
とまあ、かなり大雑把なことを書いているのだけれども、ただいまは引っ越しの真っ最中ということで、参考書も段ボールの箱の中にあって、見ること能わず。早く勉学の体制が整うことを願っています。
 

写生と論文

 投稿者:コーイチメール  投稿日:2009年 4月11日(土)19時01分52秒
返信・引用
  私が毎日俳句とその日に見たこと(見えなくても)、味わったことなど書いているのは写生です。あるがまま、感じたままを文章化する、俳句はそれを17文字に結晶させる作業です。俳句を考えるのに少しは頭を使いますが、毎日の事で本の少しの頭の体操です。
それに対してまとまった文を書こうとするとだいぶ頭を使います。それで、このところ文章を書こうとすると眠くなってしまうのです。
読書感想もブログには続けているのですが、このところ合唱に時間がとられて読書も進みません。ブログの感想文は自分の記憶メモですので、伝言板に載せるつもりの文章は、なかなかまとまらないのです。
聞かんチョウの新幹線の話は、面白い。平安貴族のお椀に和歌を浮かべ、競い合う、そして芭蕉の時代には俳句のできばえに賞金を出していたらしい。貴族の遊びもすばらしいが、江戸時代、文学で食べられる俳句の指導者(宗匠)と一般平民が俳句に没頭するなど、如何に日本人が文化的教養が高かった事を示しています。文学で賭け事する国民など無いでしょう。
また頭が冴えたときに書きます。
 

新幹線

 投稿者:のうほうく丸機関長   投稿日:2009年 4月11日(土)13時46分28秒
返信・引用
  突然ですが、新幹線って凄い乗り物なんですね?江戸時代のエネルギー消費量は、現在の100分の1以下だったそうです。当時の人が江戸から大阪まで旅するときのエネルギー消費量を調べて、新幹線のエネルギー消費量と比べたところ、ピッタリ一致したのだそうです。走行中は、僕が車を運転するときと同じように、適宜モーターを止めて慣性力で走る。停止するときには、運動エネルギーを利用して発電する。発電した電気は、同じ路線上を走る他の電車が使う。そんなシステムになっているので、エネルギー消費量が滅茶苦茶少ないんだって??!!…ンッ??!!…じゃぁ、なんであんなに料金が高いの?…それは、土地を収得したときの借金、車両製作代金、架線の交換費用(これは頻繁に行われている)、従業員の給料などに結構なお金が必要だから…らしい。アメリカなんかが、超省エネ輸送手段だと言うことに注目して、引き合いがきているらしい。新幹線をどんどん輸出すれば、雇用創出につながるし、地球温暖化防止に一役かえるかも知れない。  

俳文について

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月11日(土)03時59分16秒
返信・引用
  コーイチ君の俳文、楽しませてもらっています。

俳句に続く文。気象や果物の味等に関する記述が多い。
要するに、人事(誰がどうした、やれ経済活動はどうたら)がない。
小説、戯曲、詩でさえも(或いは哲学論文でさえ)人事が必ず含まれている。

コーイチ君が俳文を書くときと、教育について「論ずる」ときとでは、ご自分で
受ける感じが何か違うのですか?
 

re:機関長!元気にしてますか?

 投稿者:のうほうく丸機関長   投稿日:2009年 4月 6日(月)09時40分38秒
返信・引用 編集済
  生きてはおります。色々考えることが多くて、…とは言っても取りとめのないことばかりなんですが…。報道で「日本の携帯電話のガラパゴス化云々…」と言う話が…、「はぁ~??…なんのこっちゃ?」…絶海の孤島で、独自進化(電子マネー機能、テレビ、写メetc)してしまった日本独自の携帯電話は、海外市場では売れなくなった。また、日本国外から携帯電話を日本市場に投入しようとしても、今度は日本では売れない。…「ふ~ん?!…そう言うことかい。イイじゃん。日本文化独特の遊び心だよ。外国市場に参入できない商品開発をしてしまったとか言って、重大問題にすることかよ?…アホじゃねぇのぉ?…それに生物学者でもねぇ、経済学者がカッコ付けて、まるで付け焼刃のように『ガラパゴス』とかって使うなよ!!…バァ~カめ。…ン~ン?…『遊び心』ってなんだぁ?…そう言えば『タァ~カミチュワン!…ア~ソォボ?!』を、英語に訳すにはどう訳せばイイんだろう?…ン~ン??!!…こりゃぁ、多分翻訳不能だわな?…もし、そう言う発想が彼の国にもあれば、彼の国の携帯電話も日本と同じ進化をしたことだし…」…なぁんてな調子で、考え込んでいたんですわ。掲示板は見ていたけど、ちょっと出張から帰ってきたら、流れに乗りづらくなっていたのもある。…で、またオザワチャンに揶揄されそうだけど、江戸時代の文化について研究もしてた。目的は、100年に一度のミゾウユウの不況を乗り切るには、『何を捨てて、何を残すべきか?』を探るためでした。学校で習った『厳しい封建制度』ってぇのは、ありゃぁウソですね。陸奥(みちのく)の女郎さんだって、申し出れば、2ヶ月近くも休暇がもらえて、お伊勢参りに行くことができて、仙台辺りで、俳句を読む有名人と同じ宿に泊まることができてるんだえ。メチャクチャ自由な時代だったみたい。『何を捨てて』っつうことに関して言えば、無機質の人工物(鉄の船みたいな)は、あまり良くない。13ヶ月鉄の船の中にいると、精神が蝕まれて、凶暴になったり、突然海に飛び込んだり、脳腫瘍ができたり、統計によって有意性のあるデータが揃っているだ。…で、船では労使が相談して『連続して13ヶ月以上、乗船勤務はできない』ことになっている。どうやら、我々人類のDNAは無機質の人工物の中で、生きて行けるほど変異が起こっていないみたいですね。物質文明の進化のスピードに動物としての人類のDNAの進化が追い付いていってないみたい。だから、『何を捨てるか』は、現在の我々のDNAにフィットしていない物質文明の産物は、しばらくお倉入りにしておいた方が良いんじゃないか?…そんな感じで、次から次へと、色々考えておりました。…長くなったので、この辺で…  

年来主張している

 投稿者:たまみちゅわん  投稿日:2009年 4月 6日(月)04時19分22秒
返信・引用
  心=脳と環境の産物という状況から言えば、3月の引っ越しこの方部屋の中も心の中もぐちゃぐちゃの状態で、お庭の教育論議にも参加できませんでした。(コーイチ君やマサオ君の書き込みは見てはいたけどね。)もうしばらくして、諸方が片付いたらぼちぼち軌道に乗せたいと思っています。その節はよろしく。

ところで、こちらは申し訳ないことなんだけど、18日の観桜会に参加できなくなりました。というのはこの四月より奉職する学校のPTA行事と重なり、都合がつかなくなったからです。潔君、そういうわけで涙をのんで「ざまーみろ!!」の解説を聞く機会を延期します。今度は5月例会の折りでしょうか。それとも総会まで飛ぶ?

ところでしばらく音沙汰がないのですが、機関長!元気にしてますか。小生のところはメールが機能不全を起こしているので、消息がわかりません。機関長のあの鋭い言説がお庭に載らないのは寂しいので、こちらもよろしく。

あと「25時 風のしゃべり場」がリニューアルした模様です。小生は時々しか覗かないけど、よく綺麗な花や風景の写真が載っています。皆さん日々成長ですね。おいらも負けずに!!
 

教育目標 その8 結論

 投稿者:コーイチメール  投稿日:2009年 4月 4日(土)21時44分25秒
返信・引用
  タカミ君がこのところ休場で教育の話は進まないし、壁と卵の話が出てきたので、生物の生きる原理「競争、助け合い、??」の答を出します。
??は、「我慢」です。言い換えれば、忍耐とか、時を待つでもよいです。
植物がどこに生きているかという生態状況を調べた宮脇教授は、植物が本来快適な満足する条件の土地より、少し不満な、不十分な、窮屈な土地にこそ群落を造って生き続けていることを知ったそうです。
それは人類にも言えます。北半球の寒い冬のあるところに多くの人類が栄えています。このように、生きると言うことは、競争と助け会いということプラス我慢が重要であるという結論になります。
学校において、試験、徒競走は競争の世界、お互いに一緒に勉強するのも、親も、公共も助け合い、そして少々つらいことは生きてゆく上であたりまえだと生徒に教えてほしいのです。受験戦争が悪い、社会が悪いと不満を持つばかりでなくそのような環境にこそ生きる力が生まれると教えてほしいのです。
壁と卵の話も、単なる弱者はかわいそうではなく、現実世界には壁があるし、摩擦はどこにもある。摩擦こそ推進力であると考えたいのです。
現在、文明とドングリという本を読んでいますがとても面白い。そのうち報告します。
井沢元彦著「キリスト教・ユダヤ教・イスラム教集中講座」と「仏教・神道・儒教集中講座」という2冊を読んで目から鱗でした。次回は、それを書きます。
 

うん

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月 4日(土)02時24分11秒
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  たとえ壁の側が正しく、卵の方が間違っていても卵の側に寄り添う・・・
システムとは、本来は私たちを守るために存在するものですが、ときには勝手に暴走し、私たちに他者を冷酷に、効率よく、そしてシスティマッティックに殺すよう仕向けるのです。

さすがに小説家だけあって、含蓄のある表現をするものだと思う。 右とか左とかのイデオロギーではなく、システム(この文脈では国家のことを言っているが、あらゆるシステムを含意していると思う)そのものを語る。

フロイトも同じようなことを言ってます。「文化というのは自然から人間を守るためのものなのに、今度はその文化装置に人間が苦しめられるとはどういうことか」 理論で人間を理解した人だけに、村上の表現ほどおもしろくない。

えっちゃんと話すの、久し振りだな。

去年、「ノルウェイ・・」以来遠ざけていた春樹を久し振りに読んでびっくりしました。

若い頃の作品にも戦争の話は出てくるのですが、ただの舞台背景だと感じていました。
でも彼は本気であの戦争のことを、日本のことを(日本というシステムのことを)、父親のことを考えていますね。 そして日本に深くコミットしています。 「海辺のカフカ」は解離性障害を病んでいる少年(頻出した不気味な少年犯罪を思わせる) また、構成は、フロイトがとりあげたエディプスの物語そのまま。 馬鹿な批評家は、フロイト的解釈なんかしない方がいい。(した人がいますが) 村上は実に考え抜いて書いている。 フロイト的枠組みなんか、批評家を騙す装置に決まっている。

本当にゆっくりゆっくり、巨大な潜水艦が悠然とその姿を海面に浮上させるように、彼のテーマが顔を出し始めているのだと思う。

僕は、彼の日本に対するディタッチメント的態度、アメリカ文への偏愛、政治的なことは決して語らない態度、父のことは決して語らない態度等々からすっかり騙された。 あいつは重いことを重く語ることだけは拒否してきた奴なんだ。 そう言われて読んでみれば、彼の文学には「病んだ人間」「損なわれた人間」(つまりはシステムに?)ばかりが出てくる。
かっこよさげに見えるけれども、実は暗い小説が多い(或いは、静けさが多いと言っていいかもしれない。 いつでも必ず彼の小説には、深海に沈みゆくプランクトンの立てる音(つまり無音)のような、深い静けさがある。)
 

きょうひょんなところで

 投稿者:小泉です  投稿日:2009年 4月 4日(土)00時21分27秒
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  今井仁君に会いました。
(友人和泉湧三氏の鋳金工芸展初日、会場の岡谷笠原ギャラリーで声をかけられびっくり)お花見彼も来てくれるといいですね。
北沢君も来るようですし。
おお賑わいになるといいですね。
地元も東京勢も女性も多いといいですね。

追伸
まさおくん承知だと思うけど、文春の4月号に村上春樹がエルサレム賞の受賞スピーチ全文を和文と英文で載せているよ。というかインタヴューに応じているんだけど、珍しい。父親のことも少し顔を出すし、私たちの世代のことも出てくる。スピーチの卵の側に立つ静かな表明はラジカルだ。
 

うるさいついでに・・・

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2009年 4月 3日(金)19時30分10秒
返信・引用
  諏訪・新宿は 2時間10分ほどですが・・・(笑)  

うっせー潔

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月 3日(金)03時14分14秒
返信・引用
  町田は辺境ではねえぞ。(都内からみれば、実は辺境なんだけどね。悲しいことに昔教え子が、神奈川県町田市と書いて年賀状をくれた。 無事届いた)

諏訪からみれば僻遠の地かもしれない。 そこで辺境を新宿駅からの距離と定義しよう。
すると諏訪と町田では圧倒的に町田の方が非辺境だ。 しかし、そこが微妙で、新宿駅への到達時間を定義にすると、町田からだと(僕の住んでるとこは、小田急一本で出られるところではない。 渋谷を経由しなければならない)1時間弱。 諏訪から新宿は3時間弱ですか? 大した違いはないなあ。

諏訪を中心としてみれば、もちろん町田は辺境であるが・・・弟は親父のお墓を長野に移すという。 いよいよ僕は諏訪との関係を失う。 どうしたらいいものか。
 

偶然と必然・主観と客観・理由と原因

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月 3日(金)02時51分58秒
返信・引用
  何気なく使っている言葉が、ちょっと考えるとわからなくなることがある。

例えば、主観と客観。 僕の思惑とは別に、何度ジャンプしても地面に落ちる。
それをニュートン力学で説明される。 一応納得。 僕の周りの人達も納得しているようだ。 すると周りの人達が僕と同じ観点をとることを客観というのだろうか。 でもそのように認識しているのは、この僕である。 主観・客観という図式そのものが僕に於いて(僕の主観の中で)成立している。 よく分らなくなる。

偶然と必然。 例えばニュートン力学を当然だと受け容れれば、僕がジャンプして地面に落ちるのは必然に見える。 しかしニュートン力学が何故(何故と言う疑問文は、原因を問うているのだろうか、理由を問うているのだろうか?)成立するのですか? ニュートンに問うても彼は答えてはくれまい。 「たまたまそうなっているのだ」以外に答えようがない。
つまり偶然だと。

まあ、暇人は寝言のようなことを足りない頭で考える。
 

ありがとう ふるたくん

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 4月 1日(水)22時49分29秒
返信・引用
  でもあれですね、子どもの成長はもちろん嬉しくなくはないが、
子どもが赤ちゃんとか幼児期のころの、あの幸福感は2度と戻ってきませんね。

しかしともかく、過ぎ去った時間と言うのは早い。本当に早い。考えてみれば、速さなんてものは時間を基準にしてるんだから、時間そのものにはやいも遅いもない。 要するにだから、日々に新鮮味がなくなっているから早く感じるのかもしれない。 やばい、老いの兆候だ。 たまみちゅわんの○○本で春を回復せねば。
 

おめでとうございます

 投稿者:ふるた  投稿日:2009年 4月 1日(水)14時45分4秒
返信・引用
  おざわくん 早いものですね もう大学生ですか 沖縄旅行とか言っていたのが6年前とは嘘みたい。
この前、野暮用で高田馬場駅近くを歩いたら「都の西北」が流れていた。六大学の歌は皆良いけど「都の西北」は抜きんでていると思う。

たまみちゅわん 自宅に帰ってこられておめでとう くるみにも近いし
>果ては○○本まで、軟取り混ぜて
大いに期待してるでね あそびにゆくでね
 

因縁

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月31日(火)23時28分44秒
返信・引用
  明日は娘の入学式。
ついこの間まで食卓でちょこんと膝の上に坐ってきたのに、とここまでは凡庸な感慨。
その彼女、今日は小学校の同窓会。

小学校時代我が娘を虐めていた子がいた。 みんなに虐められていた訳ではなく、その子
だけが娘を集中的に虐めていた。 お受験で同じ学校を受け、娘は受かったが彼女は落ちた。 中3ぐらいのときにその子はお父さんが亡くなった。

同窓会で会ってびっくり。 その子は、娘と同じ大学の同じ学部の同じ学科に進むという。
いくら何でも小学校と同じことは起こらないとは思うが・・・
 

コーイチの2009年3月の一日一句です。

 投稿者:コーイチメール  投稿日:2009年 3月31日(火)20時33分14秒
返信・引用
  春遅き信州にも、梅、水仙、杏が咲き始め、桜花も一輪見つけました。
三月は、合唱の練習、ジャズボーカル講座の発表会、コンサートと過ぎました。例年より暖かな春で、雨も適度に降り、4月は花爛漫の予感です。20数本の果実木、ボタンなどが一斉に花を開くことでしょう。一度おいで下さい。
気に入った句は○印、気に入らない句は×印、またコメントをいただければ幸いです。

1 乙女らも 還暦近し 春の宵

2 糸のごと 春の三日月 妻見つけ

3-1 桜餅 雛(ひな)祝う子は おらねども

3-2 しんしんと 雪は眞白に 雛(ひいな)の日

4 春の夜 ステージ上で 舞い上がり (フライ・ミ・トゥ・ザ・ムーンを歌う)

5 蛍烏賊(ほたるいか) 一人前の 顔並べ

6 湯湯婆(ゆたんぽ)で 母春風邪を 治しけり

7 春いちご 誕生ケーキ もう一つ

8 水仙の 葉揃えどつと 顔を出し

9 希望校 一年遅れ 合格す

10 大鳥は 家族で舞えり 庭渇く (庭渇くは、春の季語)

11 優しさや 三寒の風 強き日に

12 水仙や 発芽の中に 莟あり

13 春の嵐 ブリュッセルでは 部屋が無い

14-1 見えずとも のど自慢の春 日本一

14-2 なぜ俳句 いつからと問う 春の雨

15 幾たびの 卒業思う 四温(しおん)かな

16 ロケットは 地球飛び出す 春彼岸

17-1 雨も降り 日も背を照らす 春墓参

17-2 学校のチャイム遠くに 春彼岸

18 満月臘梅(ろうばい) 一輪 生命(いのち)あり

19 合格と 乙女の知らせ 春彼岸

20 水仙の 莟背伸びし はじけんと

21 春彼岸 八十七で 母を越え

22 雨強し 春どつと 押し寄せるやも

23-1 黄水仙 湖見下ろし 能登思う

23-2 待ちわびし 水仙二輪 寄り添いて

24 ふきのとう どこから来たの ただひとり

25 さえずりや 鳶も仲間に 入りたし (さえずり=春の季語)

26 いつもより 梅早く咲き 競いおり

27 春の雪 初恋のごと 消えゆけり

28-1 合唱の すごさに打たれ 春の宵

28-2 春の夜の 合唱にあり プロの技(わざ)

29 靴は黄 風はどこから 春の野に

30 野遊びの 子らに鳶の 答おり

31-1 ふきのとう 隣の畑に 増えており

31-2 白梅の枝に紅花 いとかわゆ
以上
 

解説

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2009年 3月30日(月)08時13分12秒
返信・引用
  町田の辺境にいると、状況に対して微妙なズレが生じるのですね。しょうがないか。長野日報も信毎もないもんね。
つまり、、、たまみちゃんは都会人の、通勤に対する常識的な観念には逆行するように、泉野に下宿してたわけです。・・・勤務優先と本人は言うのですが・・・? 僕は信じてませんでした。「桃源郷泉野で一人老春を謳歌」がすべてであります。重ねて、湊にも住宅をとなると、蔵書も深刻ながら・・・老後も深刻は、言いすぎでしょうか?
無位無冠の誹りを受けては悲しいので、本人になり代り解説します。『湊小学校教頭』です。ラストランになるのかな? 頑張ってくださいね。
 

語感

 投稿者:たまみちゅわん  投稿日:2009年 3月30日(月)06時52分30秒
返信・引用
  無位無冠というような表現は誤解を招くね。そこは削除しておきます。「ざまーみろ!!」については、それこそ語感というか、一人一人またその時々によって受け取り方が様々になってくるので、それこそ桜を愛でながら潔氏とじっくり話し合いたいところです。マサオ君、また諏訪に来ない?

茂木さんは面白いね。最新刊を読んでいます。彼ちょっと書きすぎ?
 

脳科学講義

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月30日(月)02時08分13秒
返信・引用
   茂木健一郎著(ちくま文庫)を読んだ。 おもしろかった。 以前たまみちゅわんが話題にしたクオリアに反応したことがある。 僕の見る赤とたまみちゅわんの見る赤とは違うかもしれないというような問題は哲学の問題としては全然おもしろい問題ではない。 しかし茂木さんの話はおもしろい。

 僕は物質の塊なのに、何故意識などというおかしなものを持って、「自分は宇宙なる、とても広大な空間のなかにいて、太古の昔から連綿と続く時間の中にもいて今の自分がある」などと認識しているのだろうか?

 でね、たまみちゅわん。 僕は潔くんの「ざまーみろ!!」は、無論憎悪などとんでもないですが、彼の言う「同情」どころか、愛情と読んだのですがね。

 それで、具体的に言うと定年間近になって教頭ではなくなった、ということなのですか?
仮にそうであるとして、そんなことどうでもいいことではないですか? 僕のようにしかるべき社会的地位に一度もついたことがない人間(もちろん、能力がなかったからだが)には
なぜそんなことで落ち込むのか理解できない。
 

はい、はい、

 投稿者:たまみちゅわん  投稿日:2009年 3月29日(日)22時42分27秒
返信・引用 編集済
  おっしゃるとおりでございます。
桃源郷泉野で一人老春を謳歌しておりましたが、ことはそうは問屋が卸さず、無事!帰郷と相成りました。だからさ、あまり子羊をむち打たないで。これでも少しは落ち込むこともあるんだから。

ま、かなり立ち直りつつあるけどね。残された時間はあとわずか。精々(本来の意味で)がんばりたいと思います。なお、潔君のご期待には外れるけど、なにしろ泉野に置いてあった本(大小の段ボール箱約100箱)の行き場がなく、湊にも住宅を借りることにしました。哲学から歴史、社会、生物、それに小説、果ては○○本まで、硬軟取り混ぜてご覧に入れましょう。お暇ができましたらご来訪ください。場所は湊小のすぐ上です。
 

Re:ざまーみろ!!

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2009年 3月29日(日)10時52分29秒
返信・引用
  今、解説すると欠席しちゃうかや?・・・
憎悪ではありません。同情です。牢屋に強制送還される哀れな子羊(?)にね。
 

観桜会

 投稿者:たまみちゅわん  投稿日:2009年 3月29日(日)00時40分24秒
返信・引用
  に参加します。
潔君の「ざまーみろ!!」という憎悪にも似た言葉の意味を知りたくもあり、出席させていただきます。くるみ亭主、よろしく。

同じく潔君ご推奨の「初恋の手紙」にも挑戦しましたが、「43年・・・」人間あまり変わらないものだと改めて認識しました。俺ってやっぱ重いのかなあ。
 

うん

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月28日(土)01時53分31秒
返信・引用
  極くたまに、意思して怒鳴ることはあるが、総じて優しい教師だと思ってはいます。

感情に駆られて怒鳴るのは最悪ですね。 昨年家の中がゴタゴタしているときに、ほぼ20年ぶりにそれやっちゃった。 本当に後悔しています。 信頼してなついていてくれた女の子の驚愕した顔が今でも忘れられない。

息子は今でも、別に何も感じなかったと言ってますが、小学生の頃担任からサラダオイルを頭からかけられました。 同じ時期彼は、夜夢遊病者の症状を呈していました。 だから本人の自覚とは別に、息子はきつかったんだと思いますが。
まあ、教師としての力量がない人かと思うけど、考えてみれば僕だって同じようなことをしてしまったかもしれない。
 

教育目標その7

 投稿者:コーイチメール  投稿日:2009年 3月27日(金)18時18分14秒
返信・引用
  まさお君が覚えの悪い子に怒鳴ってでも教える気持ちはわからないでもない。しかし、威嚇して教えても効果は低いのではないか。そして怒った本人がストレスとなって体によくない。
私は、教えるという点では、盲導犬の訓練をいつも思い出す。ほとんどの犬は盲導犬として使えるとのこと。あまり小さかったり大きかったりでは不都合があるが。
盲導犬の訓練では絶対にしからない。できるまでくり返し、くり返し教え込む。そして少しでもできるようになると「グッド、グッド」といってほめてやる。よくできたからと言って絶対に、ご褒美の餌などやらない。言葉と、態度でほめてやるのである。
教える側は絶対に感情的にしからない。本当に訓練士は感心するほど辛抱強い。そして、犬もまた辛抱強いのである。犬はオオカミの末裔で、群を作って生活し、ボスには絶対服従なのである。そこへ行くと、猫は野生の魔物で、人間のほんの隙をねらって、食べ物をかすめ取るのである。
盲導犬は、主人が何を食べていても、テーブルのしたでそしらぬ顔で寝そべっている。そのようにしつけられるのである。
犬に人間の歩行補助を教え込む事に比べれば、人間に生き方を教える方が優しいと思うのです。
 

さくら・・・

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2009年 3月26日(木)22時26分54秒
返信・引用
  昨年の「篝火の会」主催の(?)観桜会はさんざんでした。高島城の電気は(ぼんぼり)つかないわ、めったやたらと寒いわ、野郎だけだわ・・・小島細君渾身の手料理も携帯電話の明かりを頼りに、、、でも・・・機関長曰く「タケノコがあんなに美味いものだとは・・・」

でっ、そうした反省を生かしつつ・・・今年は 室内で・・・

日時: 4月18日(土) 19:00より
会場: くるみ大ホール(貸し切ってあります?)
会費: ひとり 3000円(プラスαって書くところが山田流)

参加特典 壱 花縒りの団子食べ放題!!!
     弐 検討中

ホントに くるみを貸し切ったからね・・・先着50人までだでね。

くるみ亭主(ジョニー?)からの伝言
 毎回、参加数が掌握できずに、スタッフから白い目で見られています。しらばっくれていますが、最近立場が微妙です。是非参加者はご一報ください。
 

それと

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月26日(木)02時53分54秒
返信・引用
   僕はね、コーイチ君、こんな思い出がある。
 中学校の社会科の授業で先生が「人間は、なぜ他の動物より偉いか」という問いを発して先生が自分で答えた、「人間はものを作り出す」、と。 僕は「なーんだ、そんなことか」

 僕はもっと深い、中坊になんか到底理解できないような答を期待していた。

 人間と動物を比べて(勿論人間だって動物の一種ですが)人間の方が偉い、という観点はキリスト教文化に顕著ですが、人が近代社会に生まれると必ずやそういう教育を受けます。そういう観点は教育という制度に内臓されているからです。 僕らは人間に関しての出来事(歴史・地理・文学等)、人間がなしてきたことの結果(数学・哲学等)を学びます。 人間以外の生物も人間と対等なんだ、という観点は生物学にちょこっと出てくるだけです。

 そのようにして近代社会で教育を受けたものは、どこかしら人間は偉いという観点を持つようになる・・・のではないでしょうか?

 偉いも偉くないも、人間も動物の一種だと思って見れば著しく変な動物ですよね。 その変さは性現象に最もよく現れます。 特定の女性が穿いたパンティーに勃起する男がいる。(=フェティシズム) 特定の女性が坐った座布団を、鼻に押し付ける行為を叙述する作家がいる(=田山花袋) 女性の排泄行為をドッボン便所にまで入り込んで覗く奴がいる(窃視症)、夕刻公園辺りで幼女・少女に男性器を露出することで興奮(=勃○)を得る男がいる。 女性の腋の毛にやたらと興奮するものがいる。・・・・

 僕の考えたいことは、教育ってどうすべきかということではなく、人間って何なんだろうか、ということなんです。 コーイチ君が考えたって、人間って変な存在でしょ?
 

いや、あのねコーイチ君

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月25日(水)03時40分16秒
返信・引用
   僕が、教育ってのは必要悪だって言ってるのは、近代社会に限定した上で言っているのであって、教育がすべて悪といっているのではありません。

 国家が整備された近代社会ではどこでも、教育制度が整っていて(国家装置が最初にやることは、教育と軍備です。日本でもそうでした。 明治のあの時期、教育に関する法律と軍に関する法律が、時をおかずして制定されています) 体系的な教育を行います。 それがどうしてもいけないと僕は言っている訳ではなく、それはそれで仕方ないことだと思います。 国家という固い殻をかぶった以上、周りに敵がいるのは当然としなければいけないですからね。 従って近代社会(或いは国家)によってなされている教育は、バイアスが掛かっています。 そのこと事態をいい悪いといっても仕方ないことですが、そのことは認識しておくべきことだと思います。

 夕べたまたまアマゾンの奥地の部族を特集したTV番組を観ました。 レヴィ・ストロースが調査した人達です。 ほとんど裸で暮らしています。 文字はありません。 しかし言語はあります。(多分、言語のない社会はないでしょう) すると知識は口承で伝えるしか仕方がありません。 仕方ないっていうか当然というか。 その知識はひとえに森で生きていくための知恵です。 コーイチ君のおっしゃる「生きる原理」というか「生きる知恵」を教えているのです。 何千という植物について(または動物について)、これは薬になる、これは魚を取るときの毒になる、これは頭が痛いときに効く、便秘にはこれがいい、・・・
つまり、彼らの知識のあり方は人間が生きていく、ということに標準されています。 僕は、知識というものはそういうものでいいのだと思っています。 僕の好きな数学だっていらない。 哲学だって余分なものだ。

 コーイチ君は近代社会或いは現状を前提した上で喋っています。 僕は理想論を喋っています。 地に足がついていないことを僕は喋っているのです。 教育の本来を喋っているのです。 機関長や花縒り主人の持っている知識って、どこか生きるってことに(自然の中で生きるってことに)つながっています。 僕も本当はそういうことを教えたい。 しかし僕にはそういう知識はない。 そこで仕方なく単なる知識を教えることになる。 近代社会では単なる知識が幅を利かしているのだから。 英単語一つ余分に覚えたところで、自然の中で生きる力になりはしない。 しかし、この日本社会の中で少しは生きる力になるかもしれない。 だから、僕はときには怒鳴りながら日々教えています。 コーイチ君を始め、皆さんは諏訪清陵高校に入れるほど学力はあったのですから何とも思わないかもしれませんが、世の中には、途方もなく理解力に欠けている子どもが存在します。 正直僕は可哀相に思う。 何とかしてあげなければ・・・・そういう思いが強くなると、つい怒鳴ってしまう。

 まとまらないものを無理してまとめるとですね、教育ってこと一つをとりあげてみても観点の取り方によって多様な語り方ができるのではないでしょうか。
 

教育目標 その6

 投稿者:コーイチメール  投稿日:2009年 3月24日(火)21時02分24秒
返信・引用
  まさお君、植物の生きる原理は、動物、生物、人間と言い換えても同じ事です。生徒、学生には、あまり最初から範囲を広く設問するより、植物という狭い範囲から考えた方がわかりやすいと思っただけです。
生きる原理「競争、助け合い、??」は、すべての生物それ自身の種の範囲でも、また他の生物、自然環境などを含む大きな生物界の話です。
まさお君が、教育は必要悪、おかしな人間ではないと見込んで入社させるというのは少しひねくれた見方です。
教育については、日本が江戸時代世界最高の識字率を誇っていた、寺子屋といったところで百姓の子供でも学んでいた点も考慮すべきでしょう。
現代、会社が有名大学を中心に採用するのも、少しでも勉強をした子供はしない子供よりはずれの確率が高いからです。現実の社会では、一流大学生がすべて優秀では無いことは皆知っています。
というわけで、学校では、また塾でも生きる原理、どう生きたらよいかを教えてほしいのです。
生きる原理「競争、助け合い、??」の??は、なんでしょう。
 

たまみちゃんは

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2009年 3月24日(火)12時21分26秒
返信・引用
  自宅通勤になるのですね。ざま~みろ!!  

いや植物の生きる原理

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月24日(火)03時17分54秒
返信・引用
  などという難しいことは分らないけど、人間を除いたすべての動植物の生きる原理っていうのは、結局は種のためだ、ということだと思うんです。 豚なら豚の種が存続するために個が存在している。個は種の鎖の一つとしてある。

そうすると、植物の生きる原理って何なんだろうか? 要するに、種が生き残るためにはより環境に適応していけばいいのだから、弱いものは淘汰されていく。それがコーイチ君の言う競争に当たるのかなあ。 助け合いって何だろう、植物も生殖に際して風を利用したり虫を利用したりするよね。 それが助け合いに当たるのだろうか? それともコーチチ君の言いたいのは、同種の中の助け合いなのだろうか。 とにかくコーイチ君、僕はちょっと分らない。

ただいずれにせよ、セックスって生きとし生けるものにとって大切ですが、人間というおかしな生きものに至って、微妙に意味が違ってしまった。 生殖に奉仕するものだけではなくなった。(動物にはホモセクシャルもいないし、交尾の前戯としてメスのオッパイを揉んだり舐めたり噛んだりはしない。 またメスがオスの性器を口に含むのは、他の動物には見られない、人間特有の行為である)

えっとね、それで教育の話につなげると長くなってしまうけど、近代社会の中の教育ってのは、僕は必要悪のように思ってんです。 長い論理を端折って言うとね、教育ってのは結局社会に都合のいい人間を作り出すってことです。 企業が有名大学の成績優秀者を採りたがるのも、彼らが当企業に大いなる利益をもたらしてくれるであろうことを期待してのことではないだろう、と思います。(そんな独創的な学生は滅多にいない) つまりそのような学生は、社会に流布する価値観により順応しているからです。 「従って、わが社に入っても少なくともわが社に不利益をもたらすようには動かないだろう」、ということを企業は期待しているのだと思う。

それで、反対にコーイチ君に質問したいんだけど、「植物の生きる原理」というのは「生物の生きる原理」と置き換えることができるんですか? それともコーイチ君は植物と動物の間に線を引いているんですか?
 

まさお君 競争、助け合い、??は、、、

 投稿者:コーイチメール  投稿日:2009年 3月23日(月)20時55分4秒
返信・引用
  まさお君なら植物の生きる原理の三つ目は何と思いますか。
たとえばセックス、性欲でしょうか。
 

教育目標 その5

 投稿者:コーイチメール  投稿日:2009年 3月23日(月)20時42分58秒
返信・引用
  たかみ君が出場しないので教育の話が進まない。が、、、
教育の目標は、文部省的には生きる力を身につける事であろうか。このわかったようで、それぞれの人が違うことを思っているのでは。その一例として植物の生きる原理「競争、助け合い、??」を言いたいのである。
動物が食ったり食われたりも一面では助け合いである。生物界は持ちつ持たれつの関係である。植物の世界でも、自然の森は、高木、中木、そして周辺の低木や吊る草などがセットになって生きているのである。人間が作った単一林、松林、杉林は人間がいつでも手を加えないと維持できないひ弱な林である。今の日本には自然林はほとんど無い。人間の役に立つ樹木ばかり植えたのである。だから災害、病中に弱いのである。
宮脇教授は、植林にはその地に本来あるべき樹種を数種類同時に植樹するのである。具体的には種から芽生えさせた苗を数万本の単位で、五種類ウライ混ぜて植樹するのである。60センチ間隔で植え付け、苗の周りには雑草よけのわらを敷くのである。そして二年ほどは年に2から3回雑草刈りをしてやるのである。私の経験からも最初の一年の雑草との競争に手を貸してやることが重要である。
そのように、土地に合った樹種ならば瞬く間に森になるし、人間が以後は手をかけなくても森は維持できるのである。
ふるた君が驚愕したコンクリートダムによる自然加工、森林の伐採など自然はどんどん破壊されている。どうしたらよいのだろう。
数百年生き続ける森をつくること、人間が地球という環境で生きてゆく事には共通の原理「競争、助け合い、??」があると私は思うのである。 つづく
 

re:理不尽な情熱

 投稿者:ふるた  投稿日:2009年 3月23日(月)08時42分18秒
返信・引用
  TV「黒部の太陽」をみて、ダムへ砂利や骨材を運ぶ無数のダンプカーの行列の映像に驚愕した。あれだけの土木工事をあんなに短期間で完成させた理不尽な情熱の一典型というべきか  

辺境・近境

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月23日(月)02時28分5秒
返信・引用
   最後まで残していたHarukiさんの「辺境・近境」を読んだ。 ノモンハン事件のことについて触れていたから。 「ねじまき鳥クロニクル」という作品にノモンハン事件のことが出てくる。 唐突とまでは言わないまでも、ちょっと不思議な気はしていた。

 読んでみて、まあまあ何となく納得。 彼は深い井戸を掘っているのだ、と。

 村上さんは政治的・社会的発言をほとんどしない人だが(それは間違いなく意図的ですが)、ノモンハンに触れたときだけ、ちょっとその種の発言をしている。 以下引用。

 「・・・そして一番重要なことはノモンハンにおいても、ニューギニアにおいても、兵士
 たちの多くは同じようにほとんど意味をもたない死に方をしたということだった。 彼ら
 は日本という密閉された組織の中で、名もなき消耗品として、きわめて効率悪く殺されて
 いったのだった。 ・・・中略・・・
  戦争の終わったあとで、日本人はせんそうというものを憎み、平和を(もっと正確にい
 えば平和であることを)愛するようになった。我々は日本という国家を結局は破局に導い
 たその効率の悪さを、前近代的なものとして打破しようと努めてきた。自分の内なるもの
 とそての非効率性の責任を追及するのではなく、それを外部から力づくで押し付けられた
 ものとして扱い、外科手術でもするみたいに単純に物理的に排除した。その結果我々は確
 かに近代市民社会の理念に基づいた効率の良い社会に住むようになったし、その効率の良
 さは社会に圧倒的な繁栄をもたらした。
  にもかかわらず、やはり今でも多くの社会的局面において、我々が名もなき消耗品とし
 て静かに平和的に抹殺されつつあるのではないかという漠然とした疑念から、僕は(ある
 いは多くの人々は)なかなか逃げ切れることができないであいる。僕らは日本という平和
 な「民主国家」の中で、人間としての基本的な権利を保証されて生きているのだと信じて
 いる。でもそうなのだろうか?表面を一皮むけば、そこにはやはり以前と同じような密閉
 された国家組織なり理念なりが脈々と息づいているのではあるまいか。僕がノモンハン戦
 争に関する多くの書物を読みながらずっと感じ続けていたのは、そのような恐怖であった
 かもしれない。この五十五年前の小さな戦争から、我々はそれほど遠ざかってはいない
 んじゃないか。僕らの抱えているある種のきつい密閉性はまたいつかその過剰な圧力を、
 どこかに向けて激しい勢いで噴き出すのではあるまいか、と。

 見られる通り、彼はこのような社会的発言でも一貫して感性的に語っていますが、僕は作家の感性は信用していて(全部の作家ではないけれども)、彼の言いたいことはよく分る気がします。 左様、日本は変わっていない。 いつか日本は理不尽なことをするのではないか、あるいは高度経済成長時代から(ああ、われらが青春時代)世界2位の経済大国に至る過程でも、ちょっと村上さんの論点とは違いますが、僕らは何故か分らないままに理不尽な情熱に振り回されてきたのではないか。
 

いやちょっと変だとは思ったけどね

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月22日(日)22時09分34秒
返信・引用
  同じ諏訪に住んでいる(らしい)のに43年ぶりとか・・・
新しい誰か・・・って、そんなこと知らないはずはないとか・・・

僕はねえ、初恋ってのにトラウマっていうか・・・馬鹿みたいに今でも彼女の夢を見る・・

でね、妄想することがあるんだよ、彼女から突然手紙が来てさ、神戸辺りで密会して・・
 

最後ですか~?

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2009年 3月22日(日)18時05分58秒
返信・引用
  心理分析やら性格分析やら・・・200の質問に答えると、あなたの知らないあなたが・・・の類で。結局は若者の携帯文化に咲いたあだ花のようです。(実際は200の質問には進みませんでしたからよく分かりませんが。)
それにしても、、、楽しめましたか?
 

hahhah

 投稿者:小泉です  投稿日:2009年 3月22日(日)15時50分13秒
返信・引用
  やってみました。
初恋のひとから手紙が瞬時に(クリックしただけで)飛び込んできて、おまけに診断分析までついてきて・・・・
やあぁァ、それが当たっているだよ。実にピタッとおさえてくるところが悔しいね。

このサイトに引き釣り困れると(???)最後はどうなるだ~・・潔さん
 

えつおとまさおの初恋・・・

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2009年 3月22日(日)12時14分15秒
返信・引用
  えつおくん
どぎまぎさせて・・・ごめんね。(うちの娘がえつおはうぶだね。ってさ)奥方だの合議だの・・・

まさおくん
期待はずれで・・・ごめんね。ご乱心? 一番感動したのにね。

お二人とも娘サンにでも聞いてみな。ってか、若者とのコミュニケーションを大切にね。それと情報アンテナの整備もね・・・

許してくださいね。実はアップした直後に、管理人がすぐさまレスを入れて、ネタ晴らしをしたんです。だから、あわてて電話して削除させたんです。少なくとも まさおくんは食い付いてくると・・・ そしたら・・・えっちゃんまで・・・

下記のURLをクリックして数問の質問に答えてね。そしたら あなた方にも淡い初恋のやるせなさ満載の手紙が届くよ。(腹が立つやつもあるらしいけどね・・・)届いたら・・・
コピペしてね。待ってるよ。

http://letter.hanihoh.com/

 

僕の推測

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月21日(土)05時43分38秒
返信・引用
  「殿、ご乱心遊ばすまいな」 殿中でいろんなことが起きる。

惟うに、潔くんは身近に何か恋のような出来事があったのではないか。(たとえそれが片思い的なものではあっても) だから、潔くんは「ご乱心」遊ばされたのではないか?

それが当たっていてもいなくても、喜ぶべきことには違いない。 こころ千じに乱れて・・・ 恋というのは心を乱すものなのだ。

僕は、恥ずかしながら初恋の相手をいまだに夢に見ることがある。 そしてその朝かすかに
勃○している。
 

初恋

 投稿者:まさお  投稿日:2009年 3月21日(土)02時17分21秒
返信・引用
  初恋・・・初めての恋(広辞苑)(ばっかみたいだ、何なんだ広辞苑は)

少女の身振りには(わたしは横合いから見ていたのだが)、実に何とも言えず魅惑的な、高飛車な、愛撫するような、しかも可愛らしい様子があったので、わたしは驚きと嬉しさのあまりあやうく声を立てんばかりになって、自分もあの天女のような指で、おでこをはじいてもらえさえしたら、その場で世界じゅうのものを投げ出してもかまわないと、そんな気がした。(「初恋」ツルゲーネフ)

僕はペ○スを一番奥まで入れて、そのまま動かさずにじいっとして、彼女を長いあいだ抱きしめていた。そして彼女が落ち着きを見せるとゆっくりと動かし、長い時間をかけて射精した。最後には直子は僕の体をしっかりと抱きしめて声をあげた。僕がそれまでに聞いたオルガズムの声の中でいちばん哀し気な声だった。(「ノルウェイの森」村上春樹)

今までの潔くんの言葉の中で一番感動しました。

小泉(くん)、どぎまぎしたついでに、公式の作品の中では初恋のことなど何も語っていないんだから、是非一つ。
 

う~ん!!!

 投稿者:小泉です  投稿日:2009年 3月20日(金)22時16分28秒
返信・引用
  なんというか、なんちゅうか・・・・・
「潔さん」心境を是非明かしてくださいナ(笑)

いやちょっと待てよ・・
これをアップしたのは潔くんだよね。
「潔さんへお手紙が届きました」って奥さんがアップしたわけじゃないよね。
手紙に「潔さんへ」とあったと解釈したんですが・・・
まさかふうふ合議の上のアップとか??

いやはや、いずれにしても『初恋の来た道』潔バージョンを書かなくちゃいかんですね(笑)
何で俺がどぎまぎしなくちゃなんねえんだろ・・・
 

お手紙・・・

 投稿者:藤森 潔  投稿日:2009年 3月20日(金)17時48分50秒
返信・引用
  初恋の人から潔さんへお手紙が届きました。

--------------------------------------------------------------------------------

潔、元気にしてる?
今でもバタフライナイフを見せびらかしていますか?自慢のナイフを先生に取り上げられていた潔をなつかしく思います。

泣きじゃくる私に潔が「別れても連絡するから大丈夫だよ」と慰めつつパッタリ連絡が来なくなったあの日から、もう43年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。

あ、そうそう、お手紙を書いたのには特に理由はないんです。ただ部屋の掃除をしていたら潔からの昔の手紙が出てきたから、なつかしくなって。びっくりさせてごめんなさい。

今あのころの付き合いをあらためて考えてみると、私たち、めちゃめちゃな恋愛でしたね。なんだかんだ言っても余裕があるのはいつも潔のほうで、私はいつも泣いていたような気がします。そういえばあのころ潔はよく「おれと別れたあとのおまえが心配だ」と言っていましたね。本当は潔のほうがモテていないことは黙っていたのですが(私はわりと告白されていたので)、その後はどうですか?

私はともかく潔にとっては初恋の相手が私だったんですよね。そうそう、最初のころの潔は、手をつないだときに手汗をびっしょりかいていましたね。家に帰ってからすぐ洗ったけど、潔が幸せそうだったからそれでいいんです(笑)。

まだ付き合い始めたころ、潔は気分が盛り上がって「いつか必ず結婚しような」って言っていましたよね。私は適当にごまかしましたが、嬉しそうな潔の顔を忘れません。今思えば完全に詐欺ですけど、今でもみんなにそう言っていますか?

全体的に言えば、私は潔と付き合えてよかったと思っています。あれでも潔なりに一生懸命頑張ってくれたのだろうし、自分もだいぶ寛容さが鍛えられました。どうもありがとう。

いろいろ書きましたが、私は潔が大好きでした。これからも潔らしさを大切に、当時本気でやっていた宇宙人との交信も続けて(笑)、新しい誰かを幸せにしてあげてください。

またいつか会いましょう。では。

P.S. ゲーセン以外のデートコースを開拓しましたか?
 

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