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読書の春

 投稿者:大吟醸浅漬  投稿日:2012年 3月31日(土)16時55分33秒
返信・引用
  ん~、ちょびちょび読ませてもらいましょ♪
 
 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月26日(日)08時27分37秒
返信・引用
  「発想の転換! = 歌におけるブレスの使い方」



歌を習っている人達に多く見受けられるのが、
歌うときのブレスにこだわっていることではないでしょうか?

少しでも歌が上達してくると、
「最近、ロングトーンが歌えるようになりました」
などと自慢げに話すものです。
(どだい、ロングトーンという音楽用語もありませんが!)

たしかに息が声帯を通ることによって音声はうまれるのですから、
歌を歌う上でブレスにこだわる気持ちは解らないでもありません。

歌の途中で息がなくなるのはみっともないから、
何とか息を節約しながら歌う方法を考えたり、

マイクなしで歌うには、余にも小さな声なので、
大きなホールでは聞こえない恐れもあるから、
思い切り息の量を増やして、
声を大きくしようと思ったりする。

しかし、それらのことは全て、
考えている事と全く逆のことを進めているにすぎません。

息を長い間、持たせようとして声を小さくしたり、
出来るだけ息の量を節約したりして歌えば、
声帯は完全に閉じられず、
音にはならない空のブレスが容赦なく吐き出されてしまいます!

また、大きな声を出そうとして、
息の量を急激に増やせば、せっかく閉じていた声帯も、
息の勢いや量で、ほころびを生じることとなるでしょう!

つまり、”怒鳴り声”のように、
ある程度声量は増えても、決して美しい音色は得られず、
しかも発音も不明瞭となって、
歌詞さえも聞き取れぬような歌になることは、
高校野球の選手宣誓の場面を思い起こしていただければ、
十分納得がいくのではないでしょうか?

そもそも、人が会話をする時に自分の息の量を、

「どの様にコントロールしようか?」

などと考えたりするものでしょうか?

息の量や勢いを計算しながら話をするとなれば、
おそらく、何を話すかという所まで、
考えられなくなってしまうでしょう!

では、自然な息の流れとはどのようなものなのでしょう?

実は、自分が意識的に関与できぬ”寝息”が、
もっとも自然なあるべき姿と考えられます。

ご存知のように寝息はスーと吸って、パッと吐き出します。
これは、横隔膜が収縮することで下へ押し下げられるために、
隣接している肺も同時に下へ引き下ろされ、
肺に空気が入る仕組みになっているのです!

そうして、収縮した横隔膜が縮む力を失うと、もとへ戻ろうとするため、
押し下げられた横隔膜は自動的に上へあがり、
肺も上へ押される格好になるので、
息を吐き出す仕組みになっているのです!

これが無意識のうちに行われている”寝息”の正体です!

しかし、この方法が自然だからと云って、
歌のブレスに使うと、
スーと吸って、いきなり、パッと瞬時に吐き出してしまう!
のではないか?と危ぶむかもしれません。

人の”声門”は、呼吸をしている時には開いているので、
このように息はパッと吐いてしまいますが、
歌う場合には”声門”はあらかじめ閉じているので、
パッと吐こうにも吐く訳にはいかないのです。

ここが!【発想の転換】です!

人の最も自然な寝息のメカニズムを、
歌のブレスに使うことによって、

人為的に息をコントロールし、空ブレスの歌い方や、
息の量や、勢いに頼った押した声で歌う癖がついてしまうリスクから、
解放されるに違いありません!

つまり、歌にとって自然なブレスとは?
”声帯”と”ブレス”が、上手く馴染んだ使い方に他なりません!
そのためには、寝息のように、
人にやさしいブレスの使い方に着目することが、
新しい発想ではないでしょうか!?

 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月26日(日)03時45分56秒
返信・引用
  「歌うときの呼吸のあり方について」
(実用美声学より)



Item・1 吸気?

横隔膜はお皿を伏せたような形をして、
後側が下方へ伸びた随意筋です。
腹式呼吸で息を吸うと、お皿が収縮するので横隔膜は下がり、
肺も一緒に引き下ろされ空気が入る仕組みになっています。

普通に腹式呼吸をしても歌うための息は確保できますが、
横隔膜の後側を腰の方へ 引き下ろしてやると、更に息は入り、
腰の辺りが膨らむ感触を覚え、
身体の重心が下へ下がるような感じがします。

歌うときはここで横隔膜を元へ戻すのですが、
身体の重心が下がった感触をそのまま維持しながら息を吐いていくと、
横隔膜が引上げられても、
重心は下りたままドッシリとした身体の構えが出来ることで、
高音域を歌うときに必要な口蓋垂を引上げるために使う筋肉との、
バランスがとれるようになるでしょう。

このとき括約筋が絞まるのが一つの目安となりますが、
歌のレッスンで云われる<声の支え>とはこのことを指しているのです。

普段、呼吸をしているときや、
寝息などを考えても分るように、吸気はスーとゆっくり、
呼気はパッと吐いてしまうのは横隔膜を収縮させて息を吸い、
吐くときは収縮させた横隔膜を解放するからだと考えられますが、

歌で使う呼吸はこのように自然な呼吸が求められる!
これが歌うときのブレスでしょう。



Item・2 呼気

まず考えておかねばならないことは、
息を吐く量や圧力で、大きな声や強い声は出ないと云うことです。
声は、声帯が閉じられたところへ空気が流れると声が発生するものですから、
余り多くの量の息や、速いスピードの圧力のある息を吐けば、
せっかく閉じた声帯が開いてしまうのです。

これは怒鳴り声などを考えて頂ければおわかりでしょう。
怒鳴り声のように、
強く大量の息を吐けば多少大きな声にはなるでしょうが、
声は割れてしまい、とても歌に使える声とは思えません。

歌手達がマイク無しに大きく立派な声で歌うのは、
決して息の量や圧力が大きいからではなく、
声帯の状態や口蓋の様子が、
声を響かせるために適した環境を作っているからなので、
息の量や圧力やスピードは、
むしろゆっくりとなめらかに流れているのです。


【腹式呼吸】とは、

横隔膜を収縮させて息を吸い、
収縮した横隔膜を解放すれば息を吐く仕組みになっているので、
吸気は横隔膜の筋肉を収縮させながら肺を引っぱって息を吸うために、
時間をかけてなめらかに吸えるものです。

呼気のときは縮んだ横隔膜を一度に解放してしまうので、
どちらかと云えばスッと息を吐いてしまうのは、
寝息を考えれば分かると思います。

これが歌にとっては自然な流れの息の使い方ですが、
歌うとき収縮した横隔膜を解放してやると、
息は一度に吐かれず、
ゆっくりと通り抜けてゆくのは、
声帯を閉じているからだと考えられます。

声楽を習得する上で一般的に云えることは、
これらブレスの仕方が日常的なものなのに、
大きな声で歌おうとするために、
ブレスの無駄遣いが目立つということです。

かなり大きな声で歌っても、
ブレスの量はそれ程消費しない事を証明するためには、
タバコを吸いながら思い切り大きな声で歌うと、
いくら大きな声で歌っても、
”煙はゆらゆらとゆっくり立ち上る”
のを見れば何よりの証明となるでしょう。

しかも大量の呼気とスピードをつけた圧力のあるブレスは、
折角閉じた声帯に隙間をつくり、
乱暴な怒鳴り声やダミ声になってしまう結果が待っているのを、
知らなければなりません。

歌手を志す人の多くは、大きく響く声に憧れ、
ブレスの勢いに頼って歌おうとするために、この息の無駄遣い、
過呼吸の落とし穴から抜け出せなくなってしまい、
ついには咽を壊して、
歌手を諦めざるをえなくなる事態が余りにも多いのは残念です。
若いうちは体力にものを云わせ、
力ずくで大声を張り上げることも出来るでしょうが、
所詮、これらは歌唱技術とは云えぬ代物であり、
利口な選択とは云い難いのです。

とくに高音になると力まかせに歌ってしまうのは最悪の方法で、
歌のレッスンの時などに、
「声を押さない」と注意されるのがこの状態なのです。

高音部で声を押す出す癖は、
自分にとって精神的には安心感があるため、
一度この癖をつけてしまうと、
これを矯正するためには気の遠くなるような時間と労力が、
必要になってくる怖さを肝に銘じるべきではないでしょうか。
 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月26日(日)03時29分13秒
返信・引用
  「高い声」
についてMさんの質問に答える!


『私はソプラノなんですが、
 高い ソ から上が思うように出ず、”首を絞めたような”
 そんな声が出てしまいます。

 ベルカントは 腹部を徐々に押し上げながら、
 自然の生理に逆らわない発声法と聞きました。
 しかし 、 「 お腹に圧力をかけなさい 」  とか 、
「 下腹部を押し上げなさい 」  とか言われます。

 圧力や押し上げた事をやると、
 体中に力が入り喉や顎までも硬くなってしまいます。
 高音は、どうしたら綺麗な声が出るようになるのでしょうか?』

Mさんから上記のようなお尋ねを頂きましたので、
参考になればと思い記事をアップしてみました。



>首を絞めたようなそんな声?


”首を絞めたような” そんな声?
とは実際聞いてみないことには分かりませんが、
多分、細くギスギスした響きになることではないかと推測します。

人の音声が、音程が高くなるにつれ細くなり、刺々しくなるのは、
人間が本来持っている悲鳴の構造によるものと思われます。

悲鳴、つまり自分の最高音を出すためには、
咽まわりの筋肉を極度に緊張させ、
息の圧力で高音を絞り出そうとするからです。

また、悲鳴は声帯の前方だけを閉じた形で叫ぼうとするので、
高い音は出るものの、”倍音”がつきませんし、
無理矢理息の圧力をかけて叫びますので、
薄っぺらな刺々しい響きになってしまうのでしょう。

高い音を悲鳴の方法で出そうとするのは、
人間にとって、もっとも自然ななりゆきであることは、
人間としての本来もっている本能ですので、
当然の事と云えましょう。

これら悲鳴のような声を改善するには声帯全体を閉じる、
つまり、【声門閉鎖】を覚えなくてはならないでしょう。

【声門閉鎖】は論理が理解できていても、
自分の出した声が【声門閉鎖】されたものか否かは、
かなり経験のあるトレナーが判断し、
トレーニングを行わなければなかなか身につくものではありません。
三大テノールの故ルチアーノ・パヴァロッッティをしても、
このアクートを会得するのに、数年かかったという話は有名です。



>お腹に圧力をかけなさい、下腹部を押し上げなさい!

もともと腹式呼吸は横隔膜が縮んで、
肺を引き下ろすので、結果的におなかは出てしまうのですが、
息を吐くとき、つまり歌うときには縮んだ横隔膜がもとへ戻る、
膨らんだおなかが元へもどるわけです。

従って、下へ膨らんだものが戻るということは、
上に戻ると考えられます。

先程も述べましたが、圧力をかけた息で無理に歌おうとすると、
いわゆる「押した声」になってしまう危険性がありますので、
息はただ声帯を通り過ぎてゆく、
くらいの感覚を持つ事が大切でしょう。
声が響くのは、決して息や筋肉の力にたよって絞り出すものではなく、
声帯がきちんと閉じられ、
口蓋垂が引き上げられ、
軟口蓋の容積が増えることによってのみ、

”倍音”のついた美しい響きの声がでるのです。
 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月25日(土)12時20分11秒
返信・引用
  「息の吸い方について」

 Mさんの質問に答える


「息の吸い方に問題があるのか、
 急いで息を吸うと肩があがり力んでしまいます。
 要するに自然に息が吸えないんです。」

Mさんから上のような質問がありましたので、
お答えいたします。



横隔膜はお皿を伏せたような形をして、
後側が下方へ伸びた随意筋です。

腹式呼吸で息を吸うと、
お皿が収縮するので横隔膜は下がり、
肺も一緒に引き下ろされ、
空気が入る仕組みになっています。

普通に腹式呼吸をしても、歌うための息は確保できますが、
横隔膜の後側を腰の方へ引き下ろしてやると、
更に息は入り、腰の辺りが膨らむ感触を覚え、
身体の重心が下へ下がるような感じがします。

歌うときは、ここで横隔膜を元へ戻すのですが、
身体の重心が下がった感触をそのまま維持しながら、
息を吐いていくと、横隔膜が引上げられても、
重心は下りたままドッシリとした身体の構えができることで、
高音域を歌うときに必要な軟口蓋や、
口蓋垂の引上げるために使う筋肉との、
バランスがとれるようになるでしょう。

このとき括約筋が絞まるのが一つの目安となりますが、
歌のレッスンで云われる

<声の支え>とはこのことを指しているのです。

普段、呼吸をしているとき、寝息、などを考えても分るように、
吸気はスーとゆっくり、呼気はパッと吐いてしまうのは、
横隔膜を収縮させて息を吸い、
吐くときは、
「収縮させた横隔膜を解放するからだ」と考えられます。

歌で使う呼吸はこれと全く逆の動作が求められます。
これが歌うときのブレスの難しさではないでしょうか。

歌うときの息の吸い方について、
注意する事をあげてみましょう。


(1)急に大量の息を吸わぬ事。

人は急に息を吸えば、
反射的に急いで息を吐こうとするものです。
音楽は限られた時間の中でしか自由はゆるされませんが、
その中で、出来るだけいつものように、
ゆったりと息を吸うように習慣付けましょう。


(2)リズムをとるために息を吸うのはいけません。

歌う前に、いくら休止符などの時間があっても、
歌う直前にリズムをとるためにパッと吸ってしまってはいけません。
この吸い方ではパッと一気に吐いてしまう原因になりかねません。


(3)吸気のときに音がしないように吸う。

息を吸うときに音がするのは、軟口蓋が狭くなっている証拠です。

この章の初めに述べたように、
横隔膜による呼吸と、バランスをとる軟口蓋や口蓋垂の引上げがあれば、
咽の入り口は広がっているのですから、
吸気のときに音が発生するわけがありません。
短時間で大量の息が吸えます。


(4)いきなり高い音から歌うとき。

ブレスの後、
いきなり高い音から歌わなければならないときがあります。

息を吸った後、高い音の構えを作るのでは間に合いません。
口蓋垂を引上げ、軟口蓋を開こうとすれば息は知らぬ間に入ってしまいます。
口蓋を拡げることによって、ブレスが自動的に入る技術をおぼえましょう。


(5)短時間で吸わなければならないとき。

音楽によっては、
ごく僅かな時間で息を継がなければならない場合がありますが、
目一杯、深呼吸をする程のブレスをとらなくても、
口蓋を拡げて息を吸えば瞬時にかなりの量を吸うことができます。

早く沢山吸おうとして身体を堅くするのが、
最も望ましくない吸い方で、
歌のブレスの必要量というものは、
8割方確保できれば十分な量であり、
より多く吸おうとして身体を堅くするのが、
よほど有害なのです。


*横隔膜の後の裾を、腰の方へ引き下ろすようにして息を吸うと、
 横隔膜は下がり腰の辺りが膨らみお腹も出ます。

*身体の重心が下がるのを、確認しましょう。

*急に吸ったり、身体が苦しくなったりするほど、
 沢山の息を吸いすぎないよう注意しましょう。

*鼻から息を吸うと、思ったよりスムーズに息は吸えるものです。

*背筋や、頸部の筋肉が連動して、軟口蓋や、口蓋垂を引上げると、
 後頭部が引上げられる感じがつかめます。

*軟口蓋や口蓋垂が、あらかじめ引上げてあると咽は広くなるので、
 短時間で大量の空気が吸えます。

*幾ら大きな声を出しても、息はそれほど消費するものではありません。

 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月25日(土)08時19分0秒
返信・引用
  ”日本人の声はなぜ細い?(声門閉鎖)”


ミレッラ・フレーニは
、世界的 ソプラノ歌手として誰もが認めるところでしょう。
1935年 イタリア の モデナ に生まれ、
ルチアーノ・パヴァロッテティ と同じ乳母で育ったという話は有名です。
1963年 カラヤン指揮の オペラ 「ボエーム」 の ミミ で、
スカラ座デヴューを果たし、
40 ほどある オペラ の レパートリー の中でも、
代表的な十八番として オペラフアン の絶賛を浴びてきました。

プッチーニ の オペラ 「ボエーム」 の ミミ は、
ソプラノ・リリコ の代表的な役の一つと云われています。
「ボエーム」 は私も何度か舞台をつとめましたが、
日本で上演する 「ボエーム」 の ミミ は、
ソプラノ の声種として リリコ とは云えども、
フレーニ のそれとは随分印象が異なるのを感じてしまいます。
いや フレーニ に限らず、欧米の歌手と日本の歌手とは、
どうしてこのように声種の印象が違う印象を与えるのでしょう。

リリコ とは、叙情的なという意味で、
とりわけ大きな声でも、
強い声でもない普通の ソプラノ と考えればよいのでしょうが、
欧米の歌手にくらべ、
どうしても日本の歌手の概念は、
華奢で ホッソリ とした印象を免れません。

欧米の リリコ は、
日本の リリコ・レッジェーロ(叙情的で軽い)、
欧米のスピント(力強い)は、
日本のリリコといった具合に、

ワンランクの差を感じでしまうのは私だけでしょうか?
そこで、

”内外の差はなぜ起こるか?”

について考察してみたいと思います。



*体格、骨格の問題


確かに日本人は、小柄な人が多いのは事実です。
ドイツや北欧の人達は、オペラ歌手というよりも、
まるでプロ・レスラーのような、
大柄な歌手がいるのも珍しくありません。

確かに、身体が大きければ、
身体の各器官も大きいでしょうし、
肺が大きければブレスも長く続く、
口腔が広ければより大きな響きもつくでしょう。

しかし、身体の各器官が大きいからと云って、
大きく響きの良い声が出る唯一の条件になりうるとは、
考えにくいものがあります。

骨格についてはどうでしょう。
特に声の共鳴部である頭部は、
日本人の頭部は円形であるのに対し、
欧米の人達の頭部は楕円形であるのが通常ですが、
円より楕円の方が歌を歌うのに有利だという話は聞いたことがありません。


*言語の問題


日本語は、顎の上下で母音を喋りますが、
イタリア語などは、舌の操作で母音を発音します。

[ ア ] [ a ] は、両者ほとんど変りませんが、

[ エ ] [ イ ] [ ウ] と日本語は顎が次第に上がって、
[ ウ ] では口が噛み合されてしまうのに対し、
イタリア語は [ e ]  [ i ] と舌を上に上げながら、
[ u ] は下の中央を引上げて発音するので、
日本語と比較すると、口腔の容積はかなり広く確保出来るので、
声の響きには有利に働くものと思われます。



*声帯の問題


声帯自体は両者に格差は見られませんが、
身体の大きな人ほど声帯の長さは長いので、
当然低い音には有利に働くことは否めません。
ブルガリアなどの背の高いバス歌手などがその良い例でしょう。

むしろここでは声帯の使い方に関する知識や、
習慣が異なることに注目したいと思います。


さらに声門です。
声門とは声帯の間にある隙間ですが、
ここには声帯を開閉する様々な筋肉などが備わっています。
一番下の左右にあるマガタマ型は被裂軟骨と呼ばれ、
支柱により回転するようになっているので、
内側に矢印の方へ廻ると声帯は開き、
普段呼吸している状態は。Λ型のように開いています。


次は、声門閉鎖が行われている時、声門はΙ型で、
声帯が閉まることによって音声が出る状態ですが、
必ずしも声帯が完全に閉まらなくても音声は出るのです。

例えば、悲鳴などは、
声帯の前方だけが閉じられることにより高い声がでますし、
声帯の一部だけを閉じた場合、
ファルセットやハスキーヴォイスなどの、
特殊な声が生まれます。

被裂軟骨を外側に回転させると、
声帯を完全に閉じることができるのです。


ミレッラ・フレーニ の声の素晴らしさは、
声の大小の問題以上に、
声の響きの良さにあるのではないでしょうか。
彼女の音色の美しさや豊かさは、

”声門閉鎖による倍音が生じること”

によって得られたものに違いありません。



*声門閉鎖による倍音


声帯の倍音は次のようにして生まれます。

もともと、音の高さは周波数によって決まるものですから、

基音が短いほど高い音、
基音が長いほど低い音になります。

従って、
高い声は声帯を短く使えばよいのですが、
基音の長さが余り短くなると、
倍音は整数倍の周波数で生まれますので、
人の可聴範囲には入らなくなります!

ということは、

倍音が聴こえ難くなる=声が豊かに響かない!

ということになってしまいます。

では他に方法はないのでしょうか?

ヴァイオリンなどの弦楽器は、
弦を巻き上げると音は次第に高くなります。
このように長い弦でも、
強い張力で引っ張ってやれば音は高くなることを考えれば、
声帯も全てを閉じて引っ張ってやると、
長い基音でも短い基音と同じ高さの音が出て、
基音が長いだけ、
人の可聴範囲の中に収まる倍音が生まれることになります。



*声門閉鎖の方法


声門閉鎖がどのようにおこなわれるか?
ですが、
声帯は外からでは目で確認することはできません!

【声帯のある場所、喉仏あたりを首の両側、
 後下方へ引き下ろすようにすると、結果的に喉仏は下がります!】


更に声門閉鎖だけではなく、
口蓋垂を引上げる作業にかからなくてはなりません!

口蓋垂を上げるためには、
後頭部の頭皮が、
上に引っ張られるようにすれば良いのですが

この時の、結果として、

【”眉も上がります”】ので、

これが一つの目安となるでしょう。

人によってはこのとき耳が動く人もいますが、
声門閉鎖と口蓋垂の引上げを同時に行うと、
耳の後に緊張感を覚えることは確かです。


次に、

【 口の中へ卵を縦に入れたように空間をつくり、口を閉じます。】

ここでハミングを歌いますが、
留意点として、

【 ハミングが首の後で響くこと!】

1点 ソ 近辺の音でしたら、
手を首筋にあてがうと振動が伝わってきます。

そして、

【 ブレスは強く吐いたり、多く吐いたりしない。】

横隔膜が引き下ろされて息が入ると、
自然に元へ戻る感触で横隔膜は上に戻っていきますが、
このとき吐かれた息が、声帯を通り抜けるように、
穏やかで一律な流れでスルー(through)させるのです。

ハミングは、声帯の前だけを閉じた場合、
鼻に響くきれいに澄んだものとなりますが、

【 声帯を全て閉じた時のハミングは、
  首の後方で響き、モゴモゴとした、こもったハミングになります!】

このこもったハミングが、
首の後方で響いたら。口を思い切り良く開けましょう!

下歯が見えるように顎の力を抜いて口を開けると、
[ ma ] の発音で倍音のついた素晴らしい響きの声が生まれます!

音程を上げたり、跳躍したりするためには、
ブレスの圧力や量にたよらず、
初めに出した声と同じ状態から、

【 口蓋垂を、更に引上げる努力をするだけで良いのです。】

決して、ブレスや喉の状態を変えようとしないで下さい。

今迄述べてきたことで幾つかの問題が、
欧米と日本の歌手の違いに関係していることが見えてきましたが、
体格については、
イタリア人など日本人と同じくらい小柄な人もいますし、
言語についてもオペラなどは、
既に我が国でも、
外国のように原語上演があたり前のこととなっているのですから、

やはり問題は、
声門閉鎖の所が両者の差を生むものと考えざるを得ません。

文明開化の明治から、
わずか140年の歳月しか経っていない日本の音楽ですが、
そろそろ欧米と肩を並べるような時期が訪れるのも、
そう遠い未来ではないことを願うものであります。


 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月25日(土)04時51分34秒
返信・引用
  「歌うと息が続かない1」


歌を習っている方々を悩ませている、
大きな問題の一つに歌うと息が続かない、という障害があります。
普段の会話では、長いセンテンスを喋っても、
取り立ててブレスの不足は感じない。
なのに、歌うと息が続かない。
歌の場合は、
大きな声で歌おうとするから途中で息が足りなくなるのだ、
と考えるのも、当然のなりゆきでしょう。

酒の席で、大いに盛り上がって大きな声で喋っているときや、
パーティーなどで周りの人の声が賑やかなので、
ついつい大きな声で喋ってしまう。

こんな時、あなたは歌うときのように、
ブレスの不足を感じたり息苦しくなったりするでしょうか?

もしそうだとしたら、
あなたは、今すぐに医者の診断が必要でしょう!

これらの例をみても、<大きな声を出す> ということは、
それほど特別に大量の息を消費するものではありません。

いや、むしろ大声を出すために、
必要以上に大量の息を使えば、声は割れてしまいます。
これは怒鳴り声を考えれば明らかなことです。

ではなぜ、歌う時にブレスが続かなくなるのでしょう??


歌の形に注目してみましょう。
例えば、「荒城の月」の最初の部分ですが、

「春高楼の花の宴」を喋ってみれば、
僅か1小節で喋られるものが、
歌となるとメロディーやリズムが生じるために、
喋る時よりは間延びしてしまい、
4小節が必要となってしまいます。

その上、音程に注意し、リズムに気を配りながら歌おうとするので、
つい、音符毎に息を吐いてしまう。

これが喋るときとは違った、スムーズな息の流れを阻害し、
不必要な息の消費をもたらす原因となっているのです。

そこで、次に、リズムや音程には多少の注意を払うとして、
漢字で書いた文章を読むように歌ってみましょう。

これは、かなり高度な作業と思われるかも知れませんが、
私達が日頃親しんでいるカラオケは、
画面に出てくる歌詞のスーパーを、
確認しながら歌を歌っていますので、
「カラオケと同じような方法だ」、
と思えばそれほど難しい作業ではないでしょう。
そこでカラオケで歌える程度に、
メロディーやリズムが記憶されていれば、
あとは歌詞のスーパーを読むのと同じ作業、
つまりカラオケと同じ方法で歌うことが出来るのです。

カラオケはなぜ気持よく歌を楽しめるのか、
それは私達が苦手としている、
音程やリズムは、ある程度学習されて身体が覚えている、
そこへ歌詞を読むように歌う、
つまり喋るメカニズムを使っているので、
ブレスも喋っているときのように、
何の抵抗もストレスもなく自然に楽しく歌うことが出来るのです。



”歌うと息が続かない!”

この問題の解決をはかるためにはブレスコントロールが必要だ、
という論理に到達するのでしょうが、
考えてみると人の呼吸の状態は、
無意識に出来るのが最も自然な方法であって、
例えば、無呼吸症状などの突然死の問題で、
就寝時に自分の呼吸状態が気になってしまうと、
とても自然な状態で睡眠に入ることは困難になってしまいます。
自分の身体のある部分を、
自然な状態に保つためには、気になるところを修正するより、
出来るだけ、その気になるところに対する関心を、
他のところに転嫁することが、
最も手近な方法ではないでしょうか?

呼吸の状態をスムーズにするために、
出来るだけ自然な状態に近づけたいときには、
不自然になってしまった呼吸を修正するより、喉の状態、
つまり、

声帯が理想的な状態で働いているか?

に注目すれば、
自ずとブレスのあり方も自然な正常のものに戻るでしょう。

水道の水量が多いからといって、
水道局に水量を減らすように要請するより、
水道の蛇口の栓を閉めれば、事は解決するのと同じ理屈で、
ブレスの流れの効率を良くするために、
横隔膜や胸郭など、ブレスのもとの部分、
横隔膜や筋肉などに対して修正を加えるのは、
云ってみれば水道局に水量を減らすように要請しているのと同じです。

もっと簡単で、効果的な水道の蛇口を閉める方法、
つまり息の出口、声帯の部分に目を向けた方が、
はるかに実務的な解決策だと提言しているのです。

歌のブレスが続かないといって、
横隔膜の動きや、それに関わる呼気をコントロールするのは、
声帯を通過して音声を生むデリケートな喉の作業を解決するには、
余りにも細かい作業でありすぎるため、
大きな困難を伴うことでしょう。

皆さんが、ブレスコントロールは高度な技術と感じるのはこのせいで、
喉元の繊細極まりない呼気の作業を、
横隔膜や筋肉などの大きな部分にゆだねるのですから、
針の穴に糸を通す作業を、両手にペンチを握りしめ、
そのペンチで針の穴に糸を通そうとしているようなものです。

更に、「歌う時のブレスのあり方の認識が違う」
という事が挙げられるでしょう。

ブレスのスピードや量を、
極端に変化させて声の響きや音色を作ろうとするのは、
余りにも危険な考え方である事に気付かなければなりません。

初めに述べたように、
歌に必要なブレスの量はそれほど大量な呼気を必要としないし、
大きな圧力もいらないのです。
逆に、歌声は、大量に息を使ったり、
大きな圧力をかけることにより、ダミ声になったり、怒鳴り声になったり、
かすれた声になったりするのが、
関の山だということに気付かなければなりません。

よくギスギスした声で歌うと、
声楽教師は 「そんなに声を押さないで!」 と注意します。

この声を押すという行為は、
歌うときに必要以上の呼気の量や圧力がもたらした結果なのです。

もっと云ってしまえば、
歌う時のブレスのあり方は、
まるで太極拳のように緩やかで滑らかな、
そして僅かな量で事足りるのに気付くべきでしょう。

歌のブレスは、
ブレスの量やスピードや圧力にまかせて声を作るのではなく、
声帯をいかに通り抜けるか、
穏やかに、滑らかにスルー(through)するか、
に留意することが大切なのです。

ブレスによって声を作るわけにはいきません。
声を作る場所、それは声帯以外にありえない事を認識すべきで、
ブレスは声を作るための協力者でしかないのです。
では声帯とブレスはどのように関わっているのでしょうか?

人の声帯は、
呼吸をしている時は、声帯はΛ字型に後方が開いていますが、
音声が出る時は、声帯は I 字型に閉じてしまいます。

声帯は前の部分だけ閉じていても声は出ます。
悲鳴などの高い声は、むしろ声帯の前だけを閉じて、
声帯を短く使うことによってあれ程の高い声を生むことができるのです。


次に声門(声門とは声帯の間にある隙間です)ですが、
ここにある筋肉や、
マガタマ型をした被裂軟骨が、
作動して声帯の開閉を行います。

マガタマ型の被裂軟骨は、1点の柱で支えられ回転しますので、
テコの原理により内側に廻すと声帯は開きます。


また、被裂軟骨を外側に廻すと、
声帯は閉じられる仕組みになっているのです。



悲鳴のところで述べましたが、
高音域は、声帯を短く前の方だけを閉じて歌えば高い声は生まれます。

音の高さは周波数によって決まりますから、
短い弦をはじくと高い音が出て、
長い弦をはじけば低い音がでるのは当然のことですが、
この周波数には、2, 3, 4, ・・・ と整数倍の”倍音”が生まれるので、
声の響きや音色に関わってくる問題が生じるのです。

短い弦をはじけば高い音は出ますが、
周波数のもとの長さも短いので、”倍音”も短くなる。
”倍音”が短くなると、人間の可聴範囲の中には収まらなくなる、
つまり”倍音”は聴こえ難くなります。

しかし、長い弦を引っ張って張力を増せば、
短い弦と同じ高さの音が生まれるのは、
バイオリンの弦を巻き上げると、音が高くなるのと同じ理屈です。

このようにして生まれた音は、もとになる弦の長さが長いだけに、
周波数のもとの長さも長くなり、
”倍音”も可聴範囲の中に収まりやすくなる、
と云うことは”倍音”が出やすいということになりましょう。

高い音は、声帯を短く使うと出やすいと云いましたが、
声帯を長く使って張力を増せば、
短く使った声帯同様、高い音が生まれ、
しかも、もとになる声帯の長さは長いのですから、”倍音”も出やすくなる。
倍音が出ると云うことは、声が豊かに響く、
美しい音色の声が出ると云うことになります。

もうお分かりでしょう!

声門閉鎖をすれば、
声帯は閉じられ息漏れの心配はなくなりました。
ブレスが続くことを心配していたのに、
”声門閉鎖”を行うことによってブレスの心配が解消したのです!

【 声創りの極意は、声門閉鎖を行う。】

声門閉鎖を行うと、声帯が閉じられ”倍音”が出やすくなるので、
自然に美しく豊かな声を手に入れることができます。

しかも声帯は閉じているので、
無駄なブレスが逃げて行く心配もありません。

また、折角閉じていた声帯に、無理に息の量や圧力を増やせば、
一部が開いてしまい、美しく豊かな声は色あせてしまいますが、
無理矢理ブレスを押し出して、量を増やしたり圧力を上げたりして、
高音域を押し出すようなヒステリックな声を出す心配もなくなりました。

従って、ブレスは声帯に余計なストレスをもたらすことなく、
声帯を滑らかに通り抜ける、
スルーしていくだけの安定した働きぶりになるのです。

これは単に、

”声門閉鎖を行うこと”、のみによって生まれた結果なのです。

如何でしょ!
それでもあなたはブレスコントロールに腐心しますか?




 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月24日(金)01時06分59秒
返信・引用
  「発声技術のずさんな伝承法」

多くの人々は、
美しい声で歌を歌いたいと望んでいるに違いありません。
しかしこの願いを叶えるには、
あまたの困難を克服しなければならない事が、
やがて解ってくることでしょう。
と云うのも、「声」は聞こえても、
目にはみえない厄介な代物だからなのです。

芸術と称する多くのものは、視認できるものです。
絵画、彫刻、書道、舞踊、演劇。
いえ音楽でさえ、楽器演奏などは目で確かめることが出来るでしょう。

ところが、声楽だけは自分の身体が楽器ですので、
具合が悪いことに、
この楽器を分解し修理するわけにはいきません。
大部分は身体の状態を外から推測し、
予測を立ててこれらの楽器に対処しなければならぬ事となってしまいます。

声楽教師や、ヴォイストレーナーという職業の方々は、
このようなハンディキャップを背負って、
お弟子さんや、学生諸君の指導を請け負うことになるのです。
これは、いわば盲目の人が、
聴力だけをたよりに仕事をこなしている状態、
と云っても過言ではありますまい。

目に見えぬものにたいして、
音をたよりに物事の善し悪しを判断するのは、
大変勇気の要ることでもあり、
英知が求められる仕事でありましょう。
しかも、それらを後継者に伝承するための、
方法論もわきまえていなければなりません。
教わる方の立場を考えれば、
出来るだけ解りやすいやり方で教えようとするのも、
一理はあるというものです。

例えば、声の響かせ方を教えるときに、

<上顎を上げる>
<下顎を落とす>。

<声を頭の後で鳴らす>
<声は顔の前で響く>。

<目線を落とし、ウナジを伸ばして声を曲げる>
<目線を上げてホールの桟敷を見る>。

このように、相反するイメージを受講者に与えてしまいます。
そして、イメージの供与はあるが、
ここには、なぜそうしなければならないかという、
論理的な説明は大部分が与えられていないのです。

受講者側も、目には見えない現象であるだけに、
教師の指示に黙って従わざるを得なくなるのは、
致し方ないことなのであります。

声が響くためには2つの条件が必要です。
一つは、音声が響く場所の、ひろい容積が確保されていること、
もう一つは、声の出る基、
つまり声帯の状態が理にかなっていること、なのです。
上記のイメージはなにも相反することではなく、
受講者側の状態によっては、
それぞれ正しいイメージの与えかたであり、
間違った指導ではありません。

ただ、なぜこれが必要なのかといった説明がなされていない、
もしくは教師側に、これらのイメージ投入の必要性を、
受講者側に言葉で説明する能力や、
知識に欠けているということでありましょう。

声が響くための条件が、
<音声が響く場所のひろい容積が確保されていること> であるとすれば、
<上顎を上げようが> <下顎を落とそうが>
口蓋や鼻腔の容積が増えれば良いことで、
ここは顎の問題を指摘するよりも、
口蓋にたいする理解を深めさせるべきなのです。

また、<声を頭の後で鳴らす> <声は顔の前で響く> についても、
声の鳴る場所を漠然とイメージさせるよりは、
声門閉鎖の方法を指導した方がはるかに実益はあり、

<ウナジを伸ばして声を曲げる>
<目線を上げてホールの桟敷を見る> などは、
受講者側の姿勢や、
音声を見極めた上で決定すべき事柄ですが、
声のジラーレには直接影響を及ぼす話ではありません。

人は自分の実体験に対しては寛容で、
今迄自分が行ってきた事に誤りや間違いはないと思いがちなものですが、
教師側の肉体や精神は、
受講者側のそれらと同一のものではない、
という確たる認識を持たない限り、
声についての新しい発見や進歩は、
望むべくもない事と成り果ててしまうでしょう。

発声技法のバイブルとさえいわれているベル・カントでさえ、
初期のものと、現在では全く違ったメソードになってしまいました。
発声技術に、完成や終結という文字は見当たらないのです。

今や声楽教師やヴォイストレーナーは、
自分の実体験のみを受講者側に押し付けることなく、
科学的な論理が展開できる、
整合性のある発声技術を学び取り、
これらのイメージを与えるに止まらず、
具体的な方法論を導きだす、
曲がり角にきているのではないでしょうか?

 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月24日(金)00時57分38秒
返信・引用
  「声の要、歌創りに影響を及ぼす発声技術の問題点」


今回「美声学」というタイトルの本を刊行して分った事だが、
世の中には発声法に関する著書が、
これほど多く出版されているとは思いもよらなかった。

純粋に声楽の技術書と思えるものから、
話し言葉の発声やカラオケの指導書にいたるまで、
発声と名のつくものを検索してみると、
いかに多くの人々が声について悩んでいるかが見えてくる。

確かに声はすれども姿かたちの見えぬものが、声というものだろう。
したがって、スポーツや舞踊のように、目にとまるフォームを吟味したり、
矯正したりするわけにもいかないところが、声の問題の泣き所とも云えそうだ。

声楽における声とは、どのような位置に存在するのだろう?

もちろん、声楽であるならば”美しい声”が求められるのだが、
声は歌を歌うために必要な道具であり、
さらに言及すれば、
歌を表現するための手段でしかないのではなかろうか?
という問題が浮かび上がってくる。

もちろん、
テノールやソプラノ歌手の魅力溢れる高音域を聴くと、
それ自体に価値観を覚えてしまうだろうが、
しかし、これすら歌のドラマを表現するための一齣に過ぎないのだ。

歌を歌うときに、
人々が高い難易度を覚える事に、
音程と声の響きの問題があるだろう。

歌はそのドラマを構成するためには、
低い音や高い音を随所にあしらわなくてはならない。
ところが、人の声というものは、
音程が高くなれば、
声はより細くなり響きを失っていくし、
音程が低くなれば、
声はかすれて音を保つことが出来なくなってしまうのが、
一般的な声のあり方だと思われる。

この難問を解決しないことには、
歌う表現手段の声も、
役立たずの烙印を押されてしまうことになりかねない。

自分自身は、
ある特定の歌についてのイメージや、
歌唱法の構想を持っていたとしても、
声が意のままに使いこなせぬようでは、
その考えは無に等しい。

例えば、歌の途中に出てくる、
オクターヴ跳躍する声の音色や、
跳躍の技術が気に入るものでなければ、
この歌は、歌うのを止めなければならなくなってしまうだろう。

音程の高低による声の変化を制御できない問題が、
いかに多くの人々を苦しませているかが見えてくる。

考え方を変えてみよう?
高い声の響きが細くなるのはなぜだろう?

それはとりもなおさず、
音の振動数に関係してくる話で、
音の高さは周波数によってきまる。

その基本となる音の他に、
2倍、3倍~と整数倍の周波数の振動が、
いくつも生まれるのを、”倍音”と云うのだが、
ピッチが高くなると人の可聴音を超え、
”倍音”が聞こえにくくなるということだ。

悲鳴を想定すれば分るが、
高い声は声帯の前方を閉じて高い音程を出そうとする。

声帯は、前の一部だけが使われるので高い音は出るが、
基本となる声帯が短く使われているため、
可聴範囲の周波数も激減する。
高い音は短い弦でも出るが、
長い弦でも張力を増せば同じように高い音を出すことは可能だ。

そこで、高音を声帯の一部だけ使わずに、
声帯全体を閉じて長く使い、
引っ張って張力を増せば高音を出すことが出来るのではないか?
と云う発想を持ってはどうだろう。

声門には声帯を作動させる多くの筋肉が存在するが、
ここで注目したいのは被裂軟骨で、
マガタマ型をしたこの軟骨の動きによって声帯は開閉する。

声門を閉鎖するには、
この被裂軟骨を外側に廻せばテコの原理で声帯は閉じられる。
ここで声帯をより引っ張って張力を増し、
高音に備えるためには口蓋垂をより高く引き上げ、
声の響く場所の容積を増やさねばならない。

口蓋垂を上げるためには、眉を上げようとすれば、
後頭部の表皮は上に引き上げられ、
眉も上がって口蓋垂は引き上げられる。

さて、具体的には喉仏の辺りにある声門を、
首の後下へ両外側に廻すように引き下げる、

次に口蓋垂を上げるために、
後頭部の頭皮を引き上げ、
眉が上がるようにすれば声帯は全て閉じられ、
張力を増し、
高音の響く声の場所の容積も増えたことになる。

これが出来れば、高音域は”倍音”が付き、
声の響きは豊になり、
低音域は、声帯を閉じているから、
かすれることなく声は出る、一石二鳥の効果があらわれる。

そもそも、声を出す失敗例は論理もわきまえず、
やみくもに強い息を吐いて大声や、高い声を出そうとするからであり、
このような知識と、それに基づいた訓練をつめば、
まるで太極拳のように緩やかで、
滑らかな息の使い方で歌は賄われる本質が見えてくるだろう。

「声門閉鎖」ができれば、
息の使い方もそれにともなって完成するというもの。
これらが備われば、
音の跳躍や増減は何の苦労もなく自在に操ることができる。
これはまさに、自分が描いた通りの歌の構想を、
実現できる事に他ならない。

 

美声学!

 投稿者:ks  投稿日:2012年 2月24日(金)00時44分13秒
返信・引用
  「叫ぶテノール問題 歌の楽しみと発声技術」


<すとん>さんが叫ぶテノール問題と題する記事を書いた。

「テノール! そこは叫ばない!」 とか、
「怒鳴るなー! テノール」
なんて言葉が行き交うのは、
日本の合唱団ではよく見られる光景ですね。

そこで困り果てた指揮者たちの幾人かは、
テノールたちにファルセットで歌うように言い渡すわけだ。

なぜテノールは叫んでしまうのか?

それは、正しい発声方法を知らないから。

ソプラノさんで、
時折、高音を悲鳴にして歌っている人がいるけれど、
たぶんアレも、やっていることは、叫ぶテノールと同じ。

正しい発声方法を知らずに、
ただ楽譜に書いてある音をピアノで取って、
ムリムリに出そうとするから、叫ぶし怒鳴るわけだ。

ここで槍玉にあがったのはテノールだが、
問題になるのはテノールばかりではない。
たまたまテノールの音が高かったからで、
頭声で歌えるソプラノに比べ、
胸声のまま高い声を出そうとする、
テノールが目立ってしまったにすぎない。

合唱における発声技術の伝承は、
上記のように困難を極める事となる。

その原因を探ってみよう。


(1)指導者(指揮者やヴォイストレーナー)が、
   整合性のある発声技術についての知識がなく、
   技術を教える具体的な方法論を持たない。

発声法と云っても色々な声を出す技術があり、
今、流行りのベルカントだけが発声法の全てではない。
イタリアオペラの合唱曲ならばそれもよかろうが、
ベートーヴェンの第九を歌うにはドイツ唱法が適しているとも云える。

それにしても、指導者側が発声を指導するのに、
余りにもイメージに頼りすぎた方法論しか、
持ち合わせがないお粗末さが、
団員を混乱に導くことになる。

もっと論理的かつ具体的な指導が望まれる。


(2)合唱団員の意識の問題

なにもアマチュアの音楽愛好家に限らず、
プロの音楽家ですら、
自分のことは棚に上げて人の欠点は指摘できる。
自分では、声の技術的なことは、
かなり達成していると勘違いしている人が、
余りにも多いのではないか。

確かに発声技術に関する知識は豊富かもしれないが、
では実際に歌ってみたとき、
その技術が自分の持っている知識に、
見合うだけのものかどうかは疑わしい。
つまり、 <出来たつもり> 人間が、
あまりにも多いことだろう。

したがって合唱の練習時に、
一人一人歌わせてその不具合を指摘すると、
いたく自尊心を傷つけられた、
と感じる人が多いのにも驚かされる。


(3)日本に於ける発声技術の定着は発展途上にある

ドイツ唱法に始まった日本の声楽界は、
ベルカントを巻き込んで140年経ったが、
その理論の展開や技術の伝承は、
未だ発展途上にあるとしか云えない。

発声に関する情報は巷に溢れてはいるが、
百鬼夜行で整合性のあるものは少ない上、
確かなものを伝えてくれる指導者がいかに少ないかを痛感する。


(4)発声技術の習得はそれほど簡単なものではない。

「怒鳴る」 という行為は、
単に歌う時に吐く息のスピードが速すぎるのであって、
それほど困難な問題を抱えているわけではないが、
では声のスピードをつけずに高音域を歌うとなると、
Passaggio とか Acut だとか Girare などの、
ややこしい問題にぶっつかってしまう。

三大テノールの、故ルチアーノ・パヴァロッティでも、
Acuto を覚えるのに数年かかったと云われているほどで、
名伯楽アリゴ・ポーラが付きっきりで教えても、
これだけの日時を要した事を肝に銘じなくてはならない。

以上が<叫ぶテノール問題>についての所見だが、
これでもあなたは合唱を続けますか?

 

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