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Re: 天草架橋(五橋)史私論について

 投稿者:ごほんガゼ  投稿日:2013年 9月21日(土)15時40分28秒
  通報 返信・引用 編集済
  天草の海族さんへのお返事です。

「龍ケ岳発天草架橋私論」掲示板への感想ありがとうございました。
天草の海族さんの力強い応援の言葉で、元気が出ました。

私の思いが何人の方に伝わっているかわかりませんが、この様なメッセージが私の原動力であり、今後の励みとなります。
今年も、9月21日22日は第47回天草五橋祭が開催されております。
式典プログラムの子供達による、「森慈秀氏感動文発表」が恒例化されておりますが、私は、何かこの企画に疑問を感じざるを得ません。
勿論「五橋祭」の盛りだくさんの楽しい企画には実行委員会の方々のご苦労に感謝いたしております。個人を顕彰する事を否定するものではなく、また、森元大矢野町長の功績を否定するものでもありませんが、「天草架橋を作った人」として、元森大矢野町長のみを一人讃える企画が毎年の様に上天草市のお祭り(もう大矢野町の祭りではないはず)として実施される事はいかがなものかと思います。
  天草架橋は、天草島民が一丸となって造ったものであり、その他多くの方々の尽力によるものであり、龍ケ岳町の森国久天草架橋期成会副会長・元龍ケ岳町長もまた、その中心的リーダーの一人であった事は明らかです。(ゴホンガゼ天草架橋実現の歴史スレッド版参照下さい)
後世の子供達に私達はなにものにも偏らない、客観的な責任あるメッセージを伝えるべきかと思います。
これからも、龍ケ岳広報、天草アーカイブス資料等あくまで、客観的資料を中心に掲示板に掲載しながら、東京の地から、天草発展の道標を手繰り寄せ、天草のために何らかの形で貢献出来たらと思っております。今後共応援よろしくお願い致します。

> この談話室コーナーは実に勉強になる。天草架橋(五橋)実現の歴史についてはごほんガゼさんに感謝。感謝とともに私論40に到達した半端でないエネルギーに敬畏。
> さて、談話室内では五橋建設着工を、後一年まで漕ぎつけている。明るい光がさして希望に燃えている昭和30年代中頃の天草が手にとれる。森国久龍ヶ岳町長(架橋期成会副会長)の新年挨拶のなかにも天草発展構想内容がふんだんに盛り込まれており、天草の人口24万人とある。先月末の天草の人口127,242人(2市1町の合計)の2倍だから、如何に天草が希望と活力に満ち満ちの時代だったかが伺える。
> ところで、天草五橋物語は森慈秀大矢野町長が戦前熊本県会議員のとき、県議会で三角⇔大矢野に橋を・・・と夢の大橋構想を語ったところから始まる。極論をいうなら私は森大矢野町長が八面六臂一人で頑張って架けたぐらいに思っていた。私以外の多くの人がそう思ってたのではないだろうか。森大矢野町長も当然頑張ったのだろうが、森は森でも五橋建設の本当の功労者は架橋期成会副会長森龍ヶ岳町長だったことが分かり、天草について正しい知識をここでいただいた。亦々感謝である。
> 森国久龍ヶ岳町長は当時の天草2市13町、1首長でありながら(1首長に過ぎない)半世紀以上も前に天草はひとつ「天草市制」を唱え、常に天草全体を視野に入れて物事を考えていたとはすごい政治家だったことも分かった。
> 愈々、次は天草五橋の着工だろうか。五橋史41楽しみに待っている。
 
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